El croquis 83 Peter Eisenman 1990-1997

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Alejandro Zaera-Polo(アレハンドロ・ザエラ・ポロ)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Alejandro+Zaera-Polo&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5

P.13
P.E.:私の作品は結局他の方法を概念化することについてのものである。それは何故私がコンピューターで取り組み始めたかという理由であり、なぜなら私が人間としてできるすべてのことは軸と場所を描くことだからである。コンピューターは異なって概念化し描く。それらを通して20年前は決して作り出せなかったものを私達が作り出すことができるために、私はますますコンピューターに頼る。例えば、モーフィング(実写映像をアニメーションのように変形させること)はベクトル的(大きさと方向を持つ)操作である。軸は方向や大きさあるいは強度を持たないナチュラルな(自然な)ベクトルである。ベクトルは方向や大きさや強度を持つ。それは軸とは異なってフォーム(形態)と空間に直面する。コンピューターは人間ができなかった方法でベクトルを分析することができる。ベクトルはある程度の時間と空間の別のメカニズム(機構)である。

A.Z.P.:そうですか、しかしあなたの作品を批評するときに問題となることはあなたが本当に始まりにおいてその実験の目的は何なのかを明白に定義しないから、最後にその作品を評価することがとても困難だということである。だからあなたはこのファサードを見て言う、ああ、私はここではそれが好きだ、私はその部分は好きでない、と、だから私達は一種の経験的な、主観的な文化的に基づいた評価・・・に戻る。もしあなたがそれが作り出されたのはどんな基礎(根拠)なのかを定義しないのならばそのファサードを評価する如何なる意味もなさない。あなたにとってこれらの基礎(根拠)に基づいてAronoff Centerの評価をすることは可能ですか?

Aronoff Center
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Aronoff%20Center&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

P.E.:私の他の作品と一般の理論的な実践との関係の中でシンシナティで可能であるメタ(越えた)評価がある。そのアイゼンマン・プロジェクトは評価されうるし、あなたはそれをモネオ・プロジェクトとは異なったものとして、それは良くも悪くもないが、異なっているものとして見ることができる。アイゼンマン・プロジェクトの中には、それらの差異が結局合算され建築の歴史と理論になる。それはディメンション(寸法、次元、規模)を、如何に建築が概念化されるかに向かって、建築の内在へと加える。いくつかの批評は私が私の軌跡を定義し再測定するのを助けてくれる。しかしながら、それらは作品のパラメーター(媒介変数、要素)を変化させない。他の批評は私の作品を理解し損なう。この批評はあっぱれなあるいは批判的なものかもしれないが、その様な批評は私のディスコース(論説)に入ってこなくて、それ故それは私の作品にほとんど価値を見ない。私は私が私の軌跡を見つけるのを助けてくれた幾らかのエッセイを数え上げることができる。殆どの批評家達は私の作品を彼ら自身の軌跡の中で定義した。

Raphael Moneo(ラファエル・モネオ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=SRk&ei=vjeSSf_YJcPVkAW2zcWJDA&resnum=0&q=Raphael%20Moneo&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

P.E.:私がプロジェクトから作った批評はいつも次のプロジェクトの為のテキストあるいはプログラムである。しかしプログラムは決してその作品の為のプログラムとして明確に述べられない。それは私の意図が決して明確に述べられないからだ。私はそのメカニズムと私自身の主観的な応答の間に宙吊りにされたままでいることを試みる、だから、私はその誤解がその作品の全体的な軌跡によって何であるのか批評的に定義することができない。
P.E.:私はその評価をする唯一の方法は、その建物が建てられるやいなや、その建物を経験することだと言える。

Avram Noam Chomsky(エイヴラム・ノーム・チョムスキー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA