El croquis 83 Peter Eisenman 1990-1997

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouYube(Peter Eisenman)
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Alejandro Zaera-Polo(アレハンドロ・ザエラ・ポロ)
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P.11
P.E.:住宅10号の後、私は住宅シリーズのすべてが特にこれらの論点によって問題とみなされたと実感し始めた。例えば、住宅10号より前の、住宅はグラウンド(地面)の論点を避けていた。住宅10号の後のプロジェクトは概念的にも現実的にもグラウンド(地面)と関係させていた。(今私が再びグラウンド(地面)から離れることは、このコンテキストでは興味深い、私達はグラウンドレス(地面のない、根拠のない)プロジェクトをしているところだ。)同じく、住宅10号以前では、私は決してスケール(規模)について考えなかった。これは私がいつもあるスケール(規模)で制作していたからだった。私がグラウンド(地面)に移行していった時、私はまた別のもの、より都市的なスケール(規模)にも移行していった。私はより興味深い論点はスケール(規模)と関係していると実感し始めた。ある人は20メートルも扱えないのに、何がその人に100メートルを扱わせなければならないのか?身体と空間の関係に関してや如何に身体はこのスケールを理解するのかについての建築に入って行く別のスケール(規模)がある。しかし、ある人が異なったスケール(規模)を持っている時、繰り返しとそれと共に時間の問題が入ってくる。最初の住宅(おそらく住宅1号)はそれらがキューブから始まったという象徴だ。このように、純粋なフォーム(形態、形式)とそれから導き出された住宅へのオリジナル(原初の、独創的)な価値があった。私がデコンストラクション(脱構築)に興味を持ち始めた時、私はこれらの住宅の中にあるオリジン(起源、原点)の価値は問題を含むものであると実感した、なぜならそれらはアプリオリ(先験的、論理に基づいた)な一式の価値から始まっていたからだ。それは私が建築の中の必要な価値としてオリジン(起源、原点)を解体することに取り組み始めた時だった。これはキューブからグリッドへの移行と共に始まった。Waxner Centerは、グリッドの重ね合わせと複数のスケール(規模)の問題の最後の試みであった。
Aronoff Centerは違う種類のグリッド、つまり3次元のワイヤーフレームの箱を再導入した。規則正しいパターンで実際の柱がある一方で、その空間は概念的にはグリッドではない。ボックス・ジオメトリー(箱の幾何学)の考えは空港のコンベアー・ベルトを見ていたところから来ていて、そのプレートはお互いに部分的に重なり段になっているように見えた。

住宅シリーズ
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Wexner Center
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Aronoff Center
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→コールハースの「ビックグネス、あるいは大きいことの問題」S.M.L.XL P.494~P.517参照。また、セラの規模についてのインタヴュー参照。アイゼンマンもコールハースも考え方はざっくり言えばポスト構造主義そのものなのだが、コールハースはフーコーやデリダ的なのに対し、アイゼンマンはデリダやドゥルーズとガタリ的な違いである。またここでの身体と空間の関係は60年代70年代のアート、セラ、ナウマン、モリスの影響だろう。(井戸)