Frontiers of Architecture 1
Cecil Balmond
Louisiana Museum of Modern
Cecil Balmond(セシル・バルモンド)
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YouTube(Cecil Balmond)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Cecil+Balmond&search_type=&aq=f
P.23
Inform
Vesna Petresin Robertによるセシル・バルモンドとの会話
Kokyangwutiが人生に目覚め彼女の名前を受取ったとき、彼女はたずねた、「何故私はここにいるの?」
「自分を見回してごらん」、Sotuknangが答えた、「ここに私達が創造した地球(大地)があるじゃないか。それはシェイプ(形)とサブスタンス(物質、実質)とディレクション(指図、方向)や時間、始まりと終わりを持っている。しかしそれには命がない。
音と動きのない人生(命)とは何か?だからあなたは私達がこの命を創り出すことを助ける力を与えられてきた。あなたは知識や知恵やあなたが創り出すすべての存在を祝福する愛をあたえられてきた。それがあなたがここにいる理由だ。」
Frank Waters,Book of the Hopi.,1963
Vesna Petresin Robert:電子革命によって引き起こされたパラディグマティック(例証する、語形変化の)なシフトが私達の生活や知識の生産を深く変化させた。
フラックス(流動)の一般的な状態と同様に情報社会やネットワーク経済やエネルギー危機の出現は科学と人類との間の、アートとテクノロジーとの間の境界を横断するための増大する必要性に貢献した。
建築は様々なディシプリン(秩序、学問)の知識を組み入れようとするその試みによって定義される。それゆえにディシプリン(秩序、学問)を横断する方法はリサーチの方法と創造のプロセスのきわめて重要な部分両方で使われ得る。ディシプリン(秩序、学問)の中で構造的な類似(類推)を探している間、革新者、哲学者、エンジニア、人道主義者、社会改革者としての建築家の考えは相変わらずインスピレーション(霊感)のままである。
P.24
構造を見ること
Cecil Balmond:物事は、私が見ているものなのか?表面において、色やシェイプ(形)は私に感じられる、しかしもし私が際立つ別のピクチャー(光景)を入れて、ぼかされ、ディテールを失ったままの状態であればのことだが。唯一あるフィーチャー(特徴)が残る、それはキャラクター(特質)を与え、フェイス(外観、顔)に対するあるキャスト(鋳型、特色)あるいは目の輝きの様である。もし私がさらにディテールをより失うほうへ導く焦点を見るなら、まるで網膜が如何なる明白な視覚も保持できないかのように。驚いたことに他のシェイプ(形)が現れる。内なる目が作動し、身体の影にある精神が確立する(根をおろす、効いてくる)。
スナップショットは最初の入口で、それからスケッチが私を2番目の段階であるキャラクター(特質)の目的(意図、含意)へと連れて行く。その向うにはこのより深いフィーチャー(特徴)は唯一ダイアグラム(現実よりも物事の概念においてより)の中で捉まえられる。しかし、この3番目の入口を通して、心の目にはスイッチが入る(抽象的な読みにおいて)。何か他のものが感情や記憶をひきおこしながら生き返る。ワード(語)とライン(線)が終わるとき心底の感情が私が見るシェイプ(形)を越えたフォーム(形、形式)と、幻覚的に、詩的なものを作る。