El croquis AMOMA REM KOOLHAAS 134/135

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Beatriz Colomina(ビアトリス・コロミーナ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Beatriz_Colomina

P.364
Beatriz Colomina:私が如何に「錯乱のニューヨーク」をわかったかという物語をあなたに私は話しましたか?私は1980年に初めてニューヨークに来た。私はマンハッタンの地図を探すためにザ ヴィレッジのバーンズ・アンド・ノーブル(本屋のチェーン店)に行って、旅行部門でこの本を見つけた。私はあなたが誰か全く知らなかった。私はマンハッタンのガイドとして「錯乱のニューヨーク」を買い、それは私に影響を及ぼした。その本の中にその何かがあるに違いない。それはポストカードの世界からやって来て、本屋の旅行部門に置かれていることに行き着いた。それはそういう曖昧でないパブリックな質を持つ。

Rem Koolhaas:如何なる著者もあるパブリックさに到達することに興味があるが、私は決してパブリックの為に書かなかった。

→ニーチェやフーコーの影響を受けたコールハースが「パブリックのために」つまり「道徳というミクロな権力(生権力)のために」なんて言うはずがない。(井戸)

Beatriz Colomina:わかったわ、しかしあなたは巨大なパブリックに到達したいのでは。

Rem Koolhaas:「SMLXL」、それは全くの驚きだった。それは14万部売れた。

Beatriz Colomina:それは本あるいは実践と関係していると思いますか?

Rem Koolhaas:両方だ、しかし本の方がより関係している。私はそれは建築を越えた世界へのアクセスを与えた本だったと思う。

P.365
Beatriz Colomina:「錯乱のニューヨーク」はどれだけ売れたのですか?

Rem Koolhaas:知らない。おそらく今までに総数2万5千部だろう。

Beatriz Colomina:あなたはこの本の総数を知らないのですか?

Rem Koolhaas:初版は1万5千部で、その内4千部はイギリスで、1万部はアメリカで出回ったと思う。

Beatriz Colomina:1万5千部?それは初めての本にしては部数が多いですね。個人出版の本、少数の人々や、クライアントだけに見られることを想定した本についてはどうですか?あなたがこれらの本を作るとき、あなたは異なって書きますか?

Rem Koolhaas:はい、ますます希薄に(散在的に)…。私はあなたがプリンストンでこのことにあなたが気付いたかどうか知らないが、私達は少なくともここ5年、イコノグラフィック(図像的)な要求に関して、とても異なった瞬間(時期)を生きていると私は考えているが、マーケット(市場)がより命令すればするほど、アイデア(思考)の中の興味(面白み)はより少なくなる。これはとても、とても明白になりつつある。私達はアイデア(思考)について広範囲に書いてきたものだったし、今では私達はより省略して意味が曖昧で、よりほのめかしを通して記述しなければいけないし、退屈する説明を完全に避けなければならない。10年前、私達はユニバーサルの本社をして、それについての本を殆ど書いた。この年、私達はGazprom(ガスプロム)の本社のコンペをしたし、たとえその建物が同じ程度に複雑(難解)で、私の見方では、興味深く(面白く)ても、私達は決して同じ事をもはや言うことはできないととても強く感じた。私達はかつて言っていたよりもはるかに言うことができない。私達は私達の執筆を変化させなければならない。如何に何かが「作用している」かは、あくびを起こす。

Beatriz Colomina:理論において、個人出版の本はあなたに執筆の異なったフォーム(形態、形式)を許しますか?

Rem Koolhaas:私はそれらが私を許す(自由にさせておく)よりも強いると感じる。

Beatriz Colomina:それらはあなたにとって著者としてもはや役に立たない。

Rem Koolhaas:それらは戦術的な文書のままであり、それ故挑戦であり、言葉なしでの執筆である。

Beatriz Colomina:クライアントの誘惑のためでは?

Rem Koolhaas:言葉のミニマム(最小限)、そしてまだなお野心の断言(主張)である。

Beatriz Colomina:個人出版の本について話すと、誰も見たことがない、たとえそれがとても公に展示されていたとしても、しかしある意味では誰もそれを読むことができなかったこの有名なMoMAの本がある。誰もその中のものは実際何なのか知らない。

Rem Koolhaas:あなたはそれを見たのか?[本を取ってくるための小休止]あなたはこの由来(遍歴)を知っていますか?どうやら私達はこの言葉[MoMA Inc(MoMA株式会社)]のためになくしてしまったようだ。

P.366
Beatriz Colomina:それは私達の出版物のチャート(図表)の点から見ると異なった本であり、それが逆説的にプロジェクトそれ自身であるクライアントのための個人出版の本であるという意味で、委託がまさに本を作ることであったから、私はそれに興味がある。チャート(図表)の上の何処にそれを置けますか?そして私の質問は、これは誘惑についてのものですか?

Rem Koolhaas:いいや、あなたはそれを読んだだろう、それはスーパー・クリティカル(超・批評的)である。

Beatriz Colomina:それはあなたが既にあなたがその委託を得ないだろうことを理解したからですか?

Rem Koolhaas:私はそのリストがあるためにそれらに挑戦する必要があったことに完全に気付いていた、私は如何なる他の基礎(根拠)に基づいても勝ち得なかった。ただもし彼らが知的な努力としてそれのために進んでいたなら、勿論彼らは幾らかの点ではそれらを公表していたが、私達は見込みがあっただろう。さもなくば、望みなんてない。

Beatriz Colomina:それは殆どまるでその本があなたが既に知っていたものが起ころうとしていたことに対する予防的な報復のフォーム(形態、形式)だったようだ。

Rem Koolhaas:この種の変な質を描写してみると・・・。[古い建物の室内の写真を指し示しながら]

Beatriz Colomina:知ってる。しかし私達が今日持っているものと比較して、私達はその状況に対してノスタルジック(懐古趣味的)にさえなっているかもしれない。それは実際に、誰かのお祖母さんのもの(写真)の様に、それらの部屋の中ではとても親密だった。今では完全に失われた何かがある。しかし再び、これは作品としての本ですか、あるいは本としての作品ですか?私が見たかったものの一つは。私達が出版物のタイポロジー(類型学)を構築することができるかどうかということである。しかしあなたは既に心の中にそれを持っているかもしれない。例えば、あなたは「錯乱のニューヨーク」を「遡及的マニフェスト(宣言文)」と読んだ。あなたはまだそのレッテルを使いますか?

Rem Koolhaas:ああ、私はそのカテゴリーの中ですべての本を都市に置くだろう。ラゴスあるいは珠江デルタ地帯あるいはニューヨーク。それにショッピングの本の様な純粋なリサーチもある。都市のプロジェクトの後、私はハーバード大学で保存に取り組んでいる。保存とは、私が考えるに、この10年間の「まさに」主題だろう。AMOはエルミタージュ美術館のプロジェクトに取り組んでいて、私達もまた、特にナチスのために建てられたHaus der KunstをHerzog and De Meuronとともに取り組んでいるところであり、私達はさらに中国における保存のためにこの種のプロジェクトを再開しているところである。

Herzog & de Meuron(ヘルツォーグ・アンド・ド・ムロン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Herzog+%26+de+Meuron&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
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