El croquis 53 oma/rem koolhaas 1987-1993(El croquis 53+79 oma/rem koolhaas 1987-1998)

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Alejandro Zaera(アレハンドロ・ザエラ)
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P.6(P.14)
自由を見つけること:アレハンドロ・ザエラによるレム・コールハースとの対話

このテキストはレム・コールハースとの異なった都市での一連の対話の結果である。結果としての断片のマテリアルは選ばれ、各々が獲得される自由へ捧げられる別の一連の断片へと分類された。
ロッテルダム ロンドン ニューヨーク、1991年

→このインタヴューは以前に既に読みましたが、今回は全部日本語に直してゆっくり読みたいと思います。(井戸)

束縛からの自由
Alejandro Zaera:ここ5年間の間、あなたの作品は新しい方向を探究しているように思われる。あなたはそれを事実として認めますか、もしそうであれば、このシフト(変化)をどのように説明しますか?どのような方法であなたはそれをあなたの以前のコンテキスト(文脈)と関係付けますか?

Rem Koolhaas:誰も本当に建築について殆ど理解していないことは、それが力(権力)と力(権力)がないことの逆説的な混合であるということである。私はそれ故それは押しつけられたモチベーション(動機付け)と内在的なモチベーション(動機付け)によって分類することはとても重要であると思う。このシフト(変化)は両方がお互いに同時に起こり強化する希な例である。
外的な影響は「ヨーロッパ’92」の神話全体だった。それは、束の間、一連の極端に野心的な企てやまた幾らかは建築のプロパガンダ的(布教的)潜在能力の再発見へと翻訳された人為的な(うわべだけの)楽天主義を生み出す様に思われた。これは最近の歴史、言ってしまえば、ここ25年間で初めて、それらはそれら自身をぎこちなく押しつけているのではくて、発展をはっきり表現する(組織化する)ため、あるヴィジョン(展望)をはっきり表現する(組織化する)ためそれらの力(権力)が請い求められたという意味(感覚)で、これは建築家達をにわかに活気づけた効果を持っていた。それは戦後最初の復興以来殆ど私達の分野では起こらなかった。あなたは60年代、70年代、80年代の沢山の建築を他の誰も本当に彼ら自身の作品を信じることなしにある役割を演じている建築家達の困難さから説明することができる。この状況全体は、考慮されるプロジェクトの非常に野心的なスケールの結果(社会的重大性)として、80年代の中頃で変化し始めた。

P.7(P.15)
Rem Koolhaas:そのような発展は、サイズに関しても、野心の複雑性に関しても、決してヨーロッパでは試みられなかった。ヨーロッパの場合におけるスペシフィック(特異)なものは、特にアメリカや日本での似たようなオペレーション(計画)と比較すると、プロジェクトはプライベート(私的)でなくてパブリック(公的)である。それらは、あなたがパブリックな領域を信じようが信じまいが、何が今日パブリックな生活かという問題を生じさせるプロジェクトである。
この「新しい」風潮はとても重要な影響だった。最も重要な「内的」メカニズムは80年代の私達自身の発展の自己批判的反発だった。つまり私は私達がした幾つかの作品は近代建築の前例にあまりにも多く依存していたと考えた。80年代初期のポスト・モダニズムの出現の真っ只中では、それはおそらく勇気のある態度だったが、それはモダニズムがヨーロッパの至るところで勝利をおさめたとき、とても退屈(ウンザリ)するものになった。それはまた「新しさ」を生じさせることができるある影響を開発しないことによって非創造的な態度でもあった。だから、内的なシフト(変化)は私達自身の作品の批評に基づいていて、殆ど他のすべての人の作品の批評によって強化された。
最後に、それは80年代初期に始まった、私の著述家から建物の建築家への変換の最終的な就任でもあった。私は単純に専門的職業の膨大な部分を学ばなければならなかった。パブリック(公的)な目の中ですべてのものが起こっている、その様なプロセスの真っ只中で既に「知られている」ということは笑うべきことだった。それは私達が私達の能力をより確信するようになり、私達が私達自身の心理学的組み立ての中に幾らかの勇気を発見した’87年あたりだけだった。
そして巨大なじれったさだ。

→コールハースの「Fuck Context(文脈なんてクソ食らえ)」は有名な言葉だが、コールハースは既存のすべての束縛や規則から自由になることを求めている。勿論そこには、人間中心主義(形而上学)や、市民参加という変装し潜伏した透明な権力も含まれる。ヨナ・フリードマンと決定的に違うところはそこだ。ヨナ・フリードマンは時代的なこともあるが、本質的に住民参加を目指していて、建築家がトップダウンで決める手法に反対していた。コールハースはそんなことにまったく関心がない。というかむしろそこにも同様に形を変えた権力が潜んでいることを、フーコーの様に系譜学的に示すか、バルトの様に記号と意味の関係を宙吊りにするか、デリダの様に脱構築でその「不在」を現象させるだろう。ザエラはEl croquisのコールハース論でドゥルーズ=ガタリを引用して分析しているが、コールハースのインタヴューを読んでいると、ニーチェ、ドゥルーズ=ガタリ、フーコー、バルト、デリダの影響は確かにありありと伝わってくる。(井戸)

Yona Friedman(ヨナ・フリードマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Yona+Friedman&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80