Talking Architecture
Interviews with Architects
Prestel
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.96
レム・コールハース
P.97
Hanno Rauterberg:コールハース氏、アヴァンギャルドの建物は今日程もポピュラー(人気がある、大衆的な)になったことはかつてなかった。これは建築の黄金時代の始まりですか?
Rem Koolhaas:私は私達が経験していることはエキセントリシティー(奇抜さ)のグローバルな勝利だと思う。沢山の過度な建物が建てられているところで、その建物は意味も機能性も持たない。それはむしろスペクタクル(見世物的)な形であり、勿論、建築家のエゴだ。
Hanno Rauterberg:これはあなたを(サプライズ)驚かせますか?
Rem Koolhaas:それは私を(アメイズ)驚かせる。建築の世界はたった15年でラディカル(急進的)に変わった。
Hanno Rauterberg:それは何故?
Rem Koolhaas:それはメディアと建築がかつてよりももっと完全にお互いに依存しているからだ。
Hanno Rauterberg:それはメディアの罪か?
Rem Koolhaas:「スター建築家」という言葉を発明したのは誰だったのか?それはセンセーション(大評判)と興奮させるイメージへのそれらのグロテスクな強欲さをともなったメディアだった。建築家への期待はその為に異常なくらい変えられた。彼らは練り上げられた複雑な建物はもはやデザイン(設計)することは期待されず、シンボル(象徴、記号)が求められているのであり、イコン(像、アイドル)はメディアを通して市場で売買される。
Hanno Rauterberg:それは何か新しいことですか?バウハウスの建築家でさえも彼ら自身の建築をプロモート(宣伝)するためにメディアを使っていました。エッフェル・タワーやシドニー・オペラ・ハウスも既にその時代のイコンになった。
Rem Koolhaas:しかし、最近はすべてのことが私達がまだ持っている最後のイデオロギー、マーケット(市場)のイデオロギーによって今決められている。15年前は建築家達はパブリックなクライアントの為に働くことが当然のことだと思われていた、すなわち、彼らの目はパブリックな利益に向けられていた。その状態が退くにつれて、その建築家の社会的ディメンション(重要性、一面)はそうこうするうちに殆ど消えてしまった。最も重要な仕事は個人的なクライアントから来て、彼らは広告宣伝するフォーム(形態、形式)や、利益の源や、見当違いの他のすべてのものとしてのみ建築を見る。
Hanno Rauterberg:しかし、新しいミュージアムやコンサート・ホールのすべてはパブリックなクライアントによって資金を調達されている。
Rem Koolhaas:結局は実質上同じことに等しい、なぜなら多くの都市はまた注意をわしづかみする症候群に病んでもいて、ただコマーシャル(商業的、広告的)な論理に従うのみだ。事実、彼らは文化に投資しないがエフェクト(外見)とマーケティングに投資する。
Hanno Rauterberg:まだ、多くのクライアント達は今日リスクへの驚異的な本能的欲望を持っている。彼らは彼ら自身を10年前は想像も及ばなかった建築的実験へと巻き込ませる。
Rem Koolhaas:それじゃ、建築家達はかつてよりもより多くの自由を持っているし、今日より多くの機会がある。しかし、逆説的なことに、これら機会の各々は以前よりもより多くの制限を隠す。J.J.P.Oudがどうにか建てたファンタスティクな(空想的な、すばらしい)新しい地所を考えてみろ。彼はまさに幾らかのファサードをデザイン(設計)したのではなく、如何に多くの学校や教会や店舗が一つの地域に必要とされていたかをも建てた。
Hanno Rauterberg:そしてあなたはこの全能の神に飢えているのでは?
Rem Koolhaas:全然飢えていない、ウィークネス(弱いこと、目がないほど好きなこと)の瞬間でさえも。一体誰がまだ新しい世界の霊感を受けたような創造者としての建築家を信じているというのか?私はまだなお実行できるだろう如何なるユートピア的なモデルを見ることはできないし、その何によっても建築家は彼自身の方向を定めることができない。
P.98
Rem Koolhaas:そこで彼ではなく建築家にプリティーな(かわいい、しゃれた、みごとな)装飾をデザイン(設計)するために残されたものは何なのか、まさにそこが問題ではないのか?
J.J.P.Oud
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=J.J.P.Oud&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Jacobus_Oud
→ボードリヤールやアルチュセールを思い浮かべるが、確かエル・クロッキーのインタヴューでは、コールハースはイデオロギーから自由になることも言っていた。勿論その方法はデリダの脱構築を使ってイデオロギーの実在の中に不在を現象させることだ。ドゥルーズ=ガタリ的な見方で言えば、資本主義機械の器官や細胞としての(主体ではなく)個は資本主義機械が継続するように無意識に作動している(自発的に捕らわれの身となる)。機械と個は相互補完している。(井戸)
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB
Louis Althusser(ルイ・アルチュセール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA