minimum
John Pawson
PHAIDON
John Pawson(ジョン・ポーソン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=+John+Pawson&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
P.8
J.P.:写真もある、それは写真家の目の感性であり、たとえその写真がロバート・メイプルソープあるいはCharles Sheelerによるものであっても、うわべの主題と同様に重要であるイメージを枠取りし形作る能力である。アートもある、Dutch Golden Ageからドナルド・ジャッドまで。家具や陶器もある。しかしながら、これはまさにただオブジェクト(客体)についてのものだけの本ではない。それよりも、それは言葉とイメージを通してシンプリシティーの要素を分析することを探究する。
Robert Mapplethorpe(ロバート・メイプルソープ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Robert%20Mapplethorpe&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Charles Sheeler
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Charles+Sheeler&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Dutch Golden age
http://en.wikipedia.org/wiki/Dutch_Golden_Age
Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=3L7&q=Donald%20Judd&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
J.P.:シンプリシティーの定義は容易ではない。それはつかまえどころのない質であり、その魅力にずっと今まで興味を抱いてきた本当に異なった文化の広い地理的で歴史的な時代を超えた広がりがその本質を定義することを容易にしない。しかしながら、シンプリシティーが導かれそうにみえる沢山の質がある。
J.P.:例えば、反復のかなりの程度に基づいたコンポジション(構成)はシンプリシティーの質を示す。リズミカルなファサードを持つ伝統的な寺院はそれを持っている、19世紀の工学技術の構築物の多くが持っているように。このリズミカルな反復はオーダー(秩序)の感覚を徐々に染み込ませる。ストーンヘンジの視覚的な力の多くは、そのシンプルでマッシブでモノリシックな形態の反復にある。それは極端に大きな構築物は小さなものと同じくらいシンプリシティーの質を持ちうることを証明している。
Stonehenge(ストーンヘンジ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Stonehenge&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B8
P.9
J.P.:純粋な幾何学はシンプリシティーをより適当な(本当らしい)ようにするように思われる別の質である。数学的に理想的な形態、球、立方体、円錐やピラミッド(錐体)は、より複雑にされ、あるいはより純粋でなくなったフォーム(形態)の中に欠けている平静や静けさの感覚を持っている。例えば、イラクの螺旋状のミナレット(イスラム教寺院の尖塔)の幾何学的な完全性は、それらのシンプリシティーをそれらに与えるものであり、ブルネレスキのフィレンツェのドームはシンプルな形態の完全性の権威を持っている。勿論、彼がそれに与えたシェイプ(形)の構造的な理由はあるが、それはそれ自身の権利において(本来的に)並外れて美しいフォーム(形態)としてそれを見ないことが不可能である。その本質的なネイチャー(本質)がシンプリシティーにまるで影響しないあるマテリアルもまたある。例えば、厚い泥のレンガはマテリアルの美的な正直さを傷つけないだろう方法で開口部を創り出すことをとても容易にする。
Brunelleschi(ブルネレスキ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=w9m&q=Brunelleschi&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD
S,M,L,XL
O.M.A.
Rem Koolhaas and Bruce Mau
010 Publishers
Monacelli Press
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Bruce Mau(ブルース・マウ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Mau
P.5
建築
この恐ろしい建築のありのままに映すイメージを、激しく破壊的だが肯定的な意図の有用性の代わりに使われる力(権力)として想像することは可能だ。
分裂、孤立、不均質、侵略、破壊など、壁のすべての否定的な側面は、新しい現象の構成要素、つまり、このロンドンの場合では、望ましくない状況に対する建築の交戦状態に成り得た。これは臆病な改良にではなく全体的な望ましい代案の供給に関係しているぶしつけな(あつかましい)建築であるだろう。
P.7
この建築の居住者は、彼らはそれを愛するほどまでに十分強力だが、その自発的な囚人、彼ら自身の建築的制限(監禁)の自由の中でのエクスタシー(光悦)状態になるだろう。
近代建築とその絶望的な後産とは反対に、この新しい建築は権威主義でもなければヒステリー的でもない。つまりそれは個々の欲望に完全に適応される集合的なファシリティー(便宜、設備、施設)をデザイン(計画)する快楽主義的科学である。
外部からはこの建築はうららかな(澄み渡った、落ち着いた)モニュメント(記念碑)のシーケンス(連続、順序、結果)である。つまり内部の生活は装飾的な狂乱と装飾的な錯乱やシンボル(象徴)のオーバードーズ(過量摂取)の連続する状態を作り出す。
これは、建築家のマゾヒズム(自虐愛)と自己嫌悪を驚異的に治療しながら、それ自身の後継者を生み出す建築になるだろう。
→フーコーのパノプティコンの比喩が下地だろう。(井戸)
ミシェル・フーコー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
パノプティコン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3