S,M,L,XL
O.M.A.
Rem Koolhaas and Bruce Mau
010 Publishers
Monacelli Press

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Bruce Mau(ブルース・マウ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Mau

P.1
前戯

P.2
カサベラの1972年のコンペのエントリー「意味のある環境としての都市」とロンドンのAAスクールでの最終プロジェクト。

P.3~4
エクソダス(集団的大移動、イスラエル人のエジプト脱出)、あるいは建築の自発的な囚人(拘束された者)

P.5
プロローグ
かつて、都市は二つの部分に分けられた。
一つの部分は良い半分になり、もう一方は悪い半分になった。
悪い半分の住民は分けられた都市の良いほうの半分に群れをなして行き始め、直ぐに都市のエクソダス(集団的大移動)に膨れ上がった。
もしこの状況が永久に続くことが許されたならば、良いほうの半分の人口は二倍になるだろう。ところが一方で悪い方の半分はゴーストタウンに変ってしまうだろう。
この好ましくない人口移動を遮るためのすべての試みの後、悪い部分の権力者達は建築をすさまじく野蛮に使った。つまり彼らはその都市の良い部分の周りに壁を建てた、それを完全に彼らのサブジェクト(主体、自我、主題)に近づきがたくさせながら。
壁はマスターピース(傑作、名作、代表作)だった。
元々はいくらかの有刺鉄線の悲しいひもが突然に境界の空想上のラインの上に置かれたに過ぎなかったが、その心理的で象徴的な効果は、その物質的な様相よりも無限により力強かった。
良いほうの半分は、今となっては苦痛な距離から近づきがたい障害物の上にのみちらっとかいま見えるのだが、より抑えられないくらいたまらなく魅力的なものにさえなった。
これらの人々は閉じこめられ、陰鬱な悪い半分の中で置き去りにされ、脱出のための無駄な計画に取り憑かれるようになった。
絶望が壁の悪いほうの側で至高の状態を支配していた。
この人類の歴史でかつてそれだけしばしば、建築は絶望の罪を犯した道具だった。

→現代思想とりわけポスト構造主義が、近代の「理性」や「精神」またはそれらを持つ「主体」や「人間」という信仰を問うたように、コールハースもそのような近代の「輝かしい未来のための建築」を実際の歴史や現実を見ることで問う。(井戸)