Hans Ulrich Obrist
Interviews
Volume 1
CHARTA

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.507
Rem Koolhaasへのインタビュー
このインタビューは1998年と2001年の間に、ベルリンとソウルとロンドンで引き続いて記録された。

P.508
Hans Ulrich Obrist(以下HUO):あなたの本「SMLXL」(1995年)の中でBerlin WAll as Architecture(建築としてのベルリンの壁)というテキストがある。70年代初期においてベルリンのあなた方のこのまさに初めてのプロジェクトについて話してもらえませんか?

→「SMLXL」P.212 Field Trip:(A)A Memoir 参照。(井戸)

Rem Koolhaas(以下RK):私は、60年代の終わりのころ、つまり一般的にイノセント(無垢)な方法で建築を見る時期の終わりのころは、学生だった。特に建築が人類の解放に関与できるという楽観主義があった。私はこれには懐疑的だった。そして(その当時に多くの人々がしたように)地中海のヴィラ(住宅)あるいはギリシャの漁村に「学びに」行く代わりに、私は建築としてベルリンの壁を単に見ることを決心した。それをドキュメントし(詳細に記録し)それを解釈するために。建築のリアルな(現実の)力が何であるかを見るために。それは私が現に行ってフィールドワークをした初めての機会の一つだった。私はベルリンと壁については本当に何も知らなかった。そして私が発見した多くのことに完全に驚いた。例えば私は如何に西ベルリンが壁によって実際に監禁されて(閉じこめられて)いるかを殆ど想像できなかった。私はその状況、そして壁によって取り囲まれているにも関わらず、西ベルリンは「自由」と呼ばれ、壁の向うのより広いエリアは自由だとは考えられていないというパラドックス(逆説)については本当は考えていなかった。私の二番目の驚きは、壁が本当には一つのオブジェクトではなく、壁のサイトにおいて破壊されたものや、まだ建っていて壁に同化され組み込まれた建物の断面や、付け加えられた壁や、いくつかの本当にどっしりとして現代的な壁や、他方ではより束の間の壁など、すべてが一緒になって巨大なゾーン(地帯)に寄与している壁で部分的に構成されているシステムだった。それが最も刺激的なことの一つだった。それはいつも違った状況を呈する一つの壁だった。

HUO:永久の変形において。

RK:永久の変形において。それはまた本当にコンテクスチュアル(文脈的)だ、なぜならそれぞれのサイドでそれは異なった特徴を持っていたからだ。それはそれ自身を異なった環境に適合させていた。それはまた建築の恐ろしい力強い側面に初めて裸のままで立ち向かうことを表現していた。私はかつて道徳的でもなく非道徳的でもなく無批判なポジションをとって以来非難されてきた、たとえ個人的には見ることや解釈することがそれ自身の中で批評的なポジションに向かったとても重要なステップだとしても。

→一つの壁の表と裏で政治的にも文化的にも経済的にも違う状況に壁が適応する(変化する)ということか。「壁」というもののそういう性質が顕著になっていたのがベルリンの壁であり、それを取り上げたこと(当り前だとして気付かなかったことを発見したこと)が注目される。(井戸)