The Conversation Series 13
Olafur Eliasson
Hans Ulrich Obrist
Verlag der Buchhandlung Walther Konig,Koln

Olafur Eliasson(オラファー・エリアソン)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Olafur%20Eliasson&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
You Tube(Olafur Eliasson)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Olafur+Eliasson&search_type=

Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.13
Hans Ulrich Obrist:これは私達が永遠の現在を持つことを意味しますか?

Olafur Eliasson:私達はいつもそれを持っていると思う、つまり少なくとも私達が主観的な視点から世界を見る限りにおいて、他のものは何でも不可能である。それは私に興味を抱かせ、それは私が取り組んでいる何かである。過去や未来や時間のセンス(感覚)は、定義によって、空間の4番目の次元として認められ、そして私が前に言った様に、これはあまりに単純であり、つまり幾分インターネットのおかげで、私達がゆっくりと現実化している何かであると私は思う。私はあなたが過去と未来としてではなく、記憶とエクスペクティション(予期)として、つまり私の時間とあなたの時間としてことばで述べることができる時間のより強いセンス(感覚)があると思う。以前は、それはいつも今ここについてや、慣習としての空間と時間についてであった。しかしながら今では、それは如何にあなたと私が私達自身の為に今ここをコンストラクト(構築)するかについて以上のものである。時間は計ることができるものではない、つまりそれは今だ。私が「私の」記憶と「私の」エクスペクティション(予期)について話す時、「私の」過去と「私の」未来を意味しながら、私は今これをするし、あなたがそれについて考える時、これはその時「あなたの」今の、「あなたの」記憶の、「あなたの」エクスペクティション(予期)の、そして「あなたの」世界の一部になる。私は9つのプロセスが関係した作品についての私が取り組んでいるところの本の題を見つけ出した、それは「My Now Is Your Surroundings(私の今はあなたの周囲の環境だ)」だ。これが私が意味していることだ。

→相対性理論で厳密に言えば、個体それぞれは動きかたが違うから流れている時間も微細だが個々に違う。一律的な時間の経過は実はそれを使っても差し障りがないというスケールの中で信仰されているに過ぎない。ベルクソンやドゥルーズの影響だろう。(井戸)

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
アンリ・ベルクソン(Henri Bergson)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA

Hans Ulrich Obrist:あなたは多くの都市で介入してきた。

Olafur Eliasson:私が現場で取り組む時はしばしば、私はそのプロジェクトが最後に導くだろうところの始まりにおいてとても明白なアイデア(考え)を持っていない。私はやっていくに従って大抵そのアイデア(考え)を発展させ、私は私を導いている一つのものは如何に見物人が与えられた空間で彼ら自身を見るかという問いであると思う。それは基本的に私の作品の殆どすべてへのとても開かれた原則である。だから「Green River(緑の川)」で私はその都市の川のとても異なった概念をつつこうとした、ノルウェーのモスでは、それはとても小さく親密な設置(設定、環境)だった。

P.15
Olafur Eliasson:その点であなたはそれは殆ど、水がその空間の中でしていたもののロマンティックな(空想的な)概念で作用していると言うことができただろう。ロサンジェルスでは、その都市が砂漠の中に位置していて、水の概念は、例えばそれがストックホルムにあるよりも完全に異なっているから川は殆ど神聖視された。それだけ明白にそれは関係性がある。ロサンジェルスでは、私は見ている数人の人々と共にアクション(行動)をし、私は私が多くの警察官を呼び問題を抱えつつあるか誰も全く気を留めないかのどちらかであると確信した、そしてその場合は後者で、誰も注意を払わなかった。私は同様にアイスランドでもそれをした、田舎の外れで、私はそれを人工の中でといわゆる自然の環境の中で両方見たかった、川が都市あるいはランドスケープに対して行なうことを調査研究する為に。それは興味深かった、アイスランドの田舎の水が完全に緑に変わった時、それはピクチャー(絵画)や、リプレゼンテーション(表現、表象)の様に見えた。私は私がランドスケープを色のインパクト(衝撃)を通してリアル(現実)あるいはハイパーリアル(超現実)以上のものにできたと思った。ある都市で、その色、緑は幾らか既にその都市のリプレゼンテーショナル(表現的、表象的)なイメージをとっていて、それを変に十分、とてもリアル(現実的)にしながら、それを一変させる。