Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f

P.44
質問者:少なくとも今日あなたを知る私達の内のいくらかの人々にとって、あなたについて興味深いことの一つは、多くの方法の中で、あなたの態度や、あなたの作品や、あなたの好み等々の中ではむしろ保守主義的である様に見え、その上20世紀初頭や第一次世界大戦直後にはあなたは激しくラディカルであったにちがいないということである。あなたはその当時とてもラディカルなムーブメントに巻き込まれていた。あなたはどのようにしてその変化を説明しますか?

Mies van der Rohe:私は変化があったとは思わない。私はナチュラル(自然、本質的)な発展があったと思う。20世紀初頭に私は建築を理解しようとしていたし、私はポジティブ(決定的、明確、肯定的、積極的、現実的)な解釈(解)を見つけようとしていたし、あなたも知っての通り、私はまだ今もそれをし続けている。私は社会学的なシステムをコンストラクト(構築)しない。しかし私はシビライゼイション(文明、都会生活)の問いにとても興味がある。それは何なのか?何が進行しているのか?これはシステムでもなければ、一人の人間のワーク(作用、取り組み、作品)でもない。それは多数のワーク(作用、取り組み、作品)である。シビライゼイション(文明、都会生活)は過去から私達に与えられ、私達ができるすべてのことはそれを案内する(導く)ことだ。私は私達がそれを根本的に変えることができるとは思わない。私達はある良い方法あるいはある悪い方法でそれにともなう何かをすることができる。

→ドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」の影響を受け、欲望する機械の様に、ニューヨークというメトロポリスが無意識や欲望によって生きている(流動している)様を描き、その歴史をフーコーが歴史の地層を読みフィクションとして描いた様に描いたレム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」を思い出す。コールハースはミースのバトンを受け取り、ミースとは違ってポスト構造主義的に思考を展開していったが、ミースが言う「時代精神」で言えば、コールハースがそれ書いた時代1970年代はポスト構造主義がその時代の思考であり「時代精神」である。(井戸)

Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi

P.46
質問者:IITは、あなたの教育におけるアイデア(思考)の表現であるが、おそらく今日のアメリカにおいて最も厳格で(堅くて)フォーマル(形式的、慣習的)な学校である。何がIITを現在の姿にするようにあなたを動機づけたのですか、そして、あなたは学生が学校から何を得ると予想しますか?

Mies van der Rohe:あなたも知っての通り、私がここの学校に来て(注6)カリキュラムを変えなければならなかった時、私は学生達によい建物をどのように作るかを教える方法を見つけることを考えていた。他には何もない。最初に、私達は彼らに如何に図を引くかを教えた。最初の年はそのように過ぎた。そして彼らは如何に図を引くかを学んだ。その時私達は彼らに石の、レンガの、木のコンストラクション(構築)を教え、彼らにエンジニアリング(工学技術)についての何かを学ばせた。私達はコンクリートと鉄について話した。それから私達は彼らに建物の機能についての何かを教え、低学年には私達は彼らにプロポーション(比例)のセンス(感覚、意味)や空間のセンス(感覚、意味)を教えようとした。そして最終学年にのみ私達は建物のグループを(扱うに)至った。だから私にはまったくカリキュラムの中に厳格性(硬直性)は見えない。なぜなら私達は彼らに関係された(巻き込まれた、複雑な)問題を気付かせようとしているからだ。私達は彼らに解を教えない、私達は彼らに問題を解くある方法を教える。

質問者:あなたはかなり大量に哲学を読む。どんな哲学者があなたに最も興味を抱かせるのですか?・・・そしてどんな歴史家があなたに興味を抱かせるのですか?

Mies van der Rohe:私は私の人生すべてにおいて建築に興味があった。そして私は建築について何が言われてきたかを見つけようとしてきた。私は何が建築に影響を与え得るのか見つけようとしてきた。私は建築はあるエポック(新時代を切り開く出来事)に属していると感じている、つまり建築はその時代のリアルな(現実的な)エッセンス(本質、核心、実在)を表現すると。それは私達にとってある真実の問いであった。如何に私達は、真実とは何であるのかを見つけ、知り、感じることができるのか?
私が言っていることはワーク(作用、取り組み、作品)の存在期間(寿命)の結果である。建築はストラクチャー(構造)の表現であるべきだと私が言うとき、それは私が持っているある特別なアイデア(考え)ではない。しかしこれらの物事の相互関係はその当時明白ではなかった。だからすべての私の読書は建築に影響を与えるものについてだった。

P.47
Mies van der Rohe:私が社会学について読んだとき、私はどんなアイデア(考え)が私達の時代に本当に影響となるのかを知りたかった。
私は時代を変えたいのではなかった、つまり私は時代を表現したかった。それは私のプロジェクト全体だった。私は何も変えたくはなかった。すべてのこれらのアイデア(考え)や社会学的なアイデア(考え)や技術的なアイデア(考え)でさえも建築にある影響を持つだろうと私は本当に信じている。しかしそれらはそれら自身建築ではない。私達が本当に必要としているものはどんなマテリアルで如何に建てるかを知ることであり、それは今日失われたことである。

1960年、シカゴにて