Michael Heizer
Germano Celant
Fondazione Prada
Michael Heizer(マイケル・ハイザー)
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P.162
M.H.:私が建てた初めてのオブジェクトである彫刻は「Displaced/Replaced Mass(置換された/取り換えられた塊り)」で、それはコンクリートで線を入れられた地面の3つのくぼみの中に置かれた花崗岩のブロックだ。これらのマテリアルはその地域に存在しているマテリアルに近かった。その岩は灰色で、そのコンクリートも灰色で、作品全体も色がなかった。そのマテリアルはその自然とアプリケーション(適用)に合わせて選ばれた。それが何に見えるかは問題ではなかった。私は、予想できる結果を成し遂げる為の計算された方法内での既知の要因として使用するよりも、むしろ作品の完成時に驚きとしてこれを発見することを望む。
P.166
M.H.:展性のある交換ー交換アイテムとしてのアートのポジション(立ち位置)は累積する経済的構造の過剰供給(飽和)としてぐらつく。美術館とコレクションは詰め込まれ、床はたわんでいるが、リアル(現実的)な空間はまだ存在する。この乾いた湖は無期限でリース(借地契約)された、購入するというオプション付きで。ここで売られたものは土地であり、アートではない。もしかすると、この作品の最も展性のある側面は所有地に対する行為だ。
P.172
M.H.:運搬物は夜に乾いた湖に荷を降ろされた。私達はヘッドライトの光で作業した。52トンの塊りは岩のい半分がその空間からオーバーハングしながらその穴のエッジに横たえられた。クレーンはそれからそれを引き上げ、それはその掘削穴に倒れ落ちた。朝までそのピースを見るだけの術がなかった。
P.178
M.H.:山脈は東側で垂直に断層を生じさせた。この68トンの塊りは9000フィート上に押し上げられた。結果、それはその源泉に、4000フィートのその起源の標高に帰っていた。花崗岩とセメントと熱い土はすべて同じ色である。
M.H.:レンタルシステムはアーティストに事実上彼が望む如何なるアプリケーション(適用)も許す。今は核爆発を借りることも可能だ。このプロジェクトは二つのクレーン、一つの載貨機、四つの運搬車と四つの生コン車を必要とした。その車両(備品)を所有したりあるいは操縦したりすることは必要ではない。
P.188
M.H.:私は30トン、52トン、68トンの岩を使用した。なぜならそれらはオブジェクトの代理にされたからだ。他の言葉で言えば、岩のピースは彫刻に成り得、あなたは彫刻を作らなくてもよく、あなたはそれをデザイン(計画)しなくてもよい。私はものごとに力を持たせたい、だから私は力を持っている何かを見つける。それが何に見えるかについて私はそんなに気にしていない。その岩のアイデアはそれらがオブジェクトを代理していて、オブジェクトの置換であり、アート・オブジェクトの為の置換であるということだった。ファイン・アート(芸術)の意識して創造された、高度に表面を付けられた、高度にディテールされた(詳細に検討された)、アカデミックに(学術的に)研究された作品の代わりの何かとして。それらのすべてのための交換の中のある岩のピースとして。何がそれで運ばれるのか?どっしりとした重さ。それは別の伝統を含意し、一つは原始の時代において優勢だったものだ。その時代には岩はそこにあった唯一の不変のマテリアルだった、その当時の人々はコンクリートや金属を成形したり鋳造したりしなかったが、彼らは泥で作業した。私達の時代はモダニティー(現代性)についての、どこまでそれが進展するかというリアルな問いがある。私のリアルな感覚は、私達が原始の状態に帰ってしまっているというものだ。