What Is Art?
Conversations With Joseph Beuys
Edited with essays by Volker Harlan
CLAIRVIEW
Joseph Beuys(ヨーゼフ・ボイス)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Joseph+Beuys&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B9
美術家の言葉(ヨーゼフ・ボイス)
http://www.b-sou.com/palw-Beuys.htm
You Tube(ヨーゼフ・ボイス)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Joseph+Beuys&search_type=
P.10
J.B:そしてこれは私自身でそのマター(問題)を追求する私の決心を増加させた。今のところ、私はまさにこう言う。そして私はそれ以来それを追求してきてた、私はこのフィールド(分野)で少しは物事を覆しかき乱す方向へ向かって行かなかったふりはしないけれども。しかしながら、特に一つの事が私にはクリアーに思えた。それはもしこの問いがそのようなリサーチの中心の焦点にならないのなら、そしてもし現にアートをすべてのワーク(作品)のフィールドの中で本当に何かを作り出す為の出発点として見る真にラディカルな方法の中で解明されないのであれば、その時はもっと先の発展の如何なる思考もまさに時間の浪費だ。もし私達が社会をつくりなおしたり(新形態を与えたり)改革したいのであれば、このアイデア(考え)、それはすべての作品が確実にする(保証する)アートから来ているが、心にいだかれることを必要とする。なぜならそれはまた経済的な問い(問題)や法律的で人間の権利と関係している論点と関係を持っているからだ。私は言う、それに対する「意志」はそうこうするうちに私にはクリアーになり、ますます理解できた、それはこれが今世紀の哲学あるいは社会学における誤りに対して埋め合わせ(補正)する現実味のある方法であると、例えばマルクスにおける間違った傾向(特定の視点)と、彼の正確な分析を越えて拡張しながら、世界の真に全体論的な発展を導き得る何かとの間のバランスをとることによって。
だから、私達はアートの必要性についてのこの問いのまさに真ん中にいる、それは、疑いなく、自由の問いでもある。というのも、もし私達がこれらの物事、ヒューマニティー(人類、人間性)が持つこれらの問題について作品をつくりたければ、そのような力の中に内在する潜在性とそれゆえのエネルギーの問いもまた、技術的なエネルギーも含むのだが、それはそれだけ差し迫っており現在では実際的な意味のあるものだが・・・、もし私達がこの問いを扱いたければ、私達はまたそれを総合的なエネルギーの問いとして提起しなければならない。だから私達はよく考えて検討してみる(棚卸しする)必要があり、最初に、私達以前のすべてのエネルギーの目録(棚卸表)を作る必要があり、それは実際にそこにあるものと一致(調和)するものである。現代では人々は200年昔あるいは500年昔あるいは1000年昔に持っていたものとはまったく異なった種のエネルギーを人類が持っているという事実をしばしば見落とす。つまりそれは今日自由のエネルギーが私達の中に現れていて、これが人がアートについて話すことができ得る正確なポイントであり、これは言わば、一種の自由の科学である。いったん私達の世界の現状把握(在庫調べ)の底のラインが見つけられたら、そのときすべてのものがそれ自身をこの新しいエネルギーの状況に向けるにちがいない。これはエネルギーの新しい表明が世界の中にあるという事実の認識を含んでおり、それは人類によって表現され、つまり、これが人類における新しい何かでもあり、それが力の他のネットワークと精神的に繋がりを持つ広がりになるまでしばらくの間放っておかれながら、世界の中で個性を発揮させられる(個別的に取り扱われる)。