Oteiza’s Selected Writings
edited by Joseba Zulaika
Occasional Papers Series
University of Nevada, Reno. Center for Basque Studies

Jorge Oteiza
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You Tube (Jorge Oteiza)
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P.430
JO:私は宗教教育の現代の失敗はそれが感覚の平行した美的な教育によって伴われていないから起こると思い切って断言する。アッシージのフランシスはこの二重の分離できない精神的なフォーメーション(構成、構造、組成物)と共に生活し教えてきた。自然の創造物から問いを尋ね人類の芸術的な創造物を通してそれらに答える精神を私達が発見することに成功したとき、あなたはそれとともに作用する詩的な反作用の生き生きとした祝賀(儀式)なしでは宗教的な真実を生きることはできない。

6)JI:どのような基本的な点においてあなたはあなたの美学的理論が私達が伝統的なものと呼ぶことができるものと異なっていると思いますか?より具体的に言えば、どのようにあなたの彫刻は異なるのですか?

JO:まさに一つの伝統的な美学的理論なんてないが、人間の文化的時間と場所が依拠している多くのもの(美学的理論)がある。アートは決して立ち止まらない。各々のエポック(新時代を切り開く出来事)はそれ自身のアートを創り出し、各々のエポックの中で、アーティストは自身の方法で進み目的を付け加え個人的な解決を提案することができる。この意味(感覚)において、私は如何なる伝統のものの半端ものではない。私は私の時間に組み込まれていて、自然に対しての何かや私達が向かっている方向に対しての何かに私が貢献できることが私に思い浮かぶ。
現代の彫刻は、それ自身を自然やあるいは人間とごっちゃにしながら、ムーヴメント(動き)を想像したりあるいは作り出したりする傾向があり、私は彫像や、人間が精神的に占有することができる開かれた空間的な静寂や、休息や隠棲や避難の精神的な場所の為の空の(空虚な)孤独を探究する。

P.431
7)JI:どんな方法を人々の美学的教育の為にあなたは提案しますか?あなたはそのような教育が可能であると思いますか?

JO:創造性の美学的な複雑性を理解する為の専門的な教育がある、あるいは少なくともその側面のいくつかにおいて専門的な教育がある。しかし私達はまたアートの作品を教育と関係付けることもでき、コミュニティーにおけるそれ自身の単なるプレゼンス(現前性、存在)の範囲において効果を持つ。例えもしある社会がアートの作品を理解しなくても、それはそれらの不在の中にあるものとしてアートの作品のプレゼンスの中にある同じものではない。