El croquis 127 John Pawson

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D.S.:作品は時々極端に見える。しかし、同時に転向の欠如は物事をたいしたことではないように言うことによって表される一種のイギリス人気質をほのめかしている。

J.P.:私はいつも作品はそれ自身のために話すべきであると感じてきた。しかし、イギリス人の遠慮に関して、私は日本人におけるものが本当に好きである。なぜなら彼らはあまりにも取り憑かれたようだからである。もし彼ら(日本人)の趣味がアマチュアの写真であれば、彼らは巨大なプロのカメラと三脚を持つだろう。もし彼がレコードをコレクションしていれば、アメリカの冷蔵庫のようなサイズの巨大なスタジオ・モニターを持つだろう。私はその極端さに対する一種の興味、最善のものだけを欲しがる感覚、それを極限まで推し進める感覚が好きだ。その一種の極限主義は、表面上は、とてもイギリス人気質ではない。

D.S.:あなたを沢山の建築家達と少し異ならせている事の一つは、あなたがコンペに本当に参加しないことである。

P.21
J.P.:いくらかの人々はコンペをまるでリアルであるかのように感じることができる。沢山のスタジオ(設計事務所)はコンペのために他の仕事をしないよう準備する。そして彼らはまるで含意された一つの目的と共に個々の委託に作業しているかのようにそれらにアプローチすることによってコンペをする。私はそれは困難だとわかった。もし私達がコンペをすると決めたら、明らかに私達は何かができるだろう。私達は勝利する何かを提案することさえできるかもしれない。しかし、コンペの状況の中で生み出されたデザイン(計画)は、決して現実のクライアントのためのワーキングと同じくらい地に足がついたものとは全くならないだろう。
問題なのはコンペが必要とする時間と掛かり合いである。