El croquis 158
John Pawson 2006-2011

John Pawson(ジョン・ポーソン)
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P.7
ジョン・ポーソンとの対話
Julie V.Iovine
2011年秋 ロンドン ニューヨークシティ

Julie V.Iovine:あなたは初期に所謂ミニマリストとしてあなたのデザイン・ボイスを確立していて、以来それから方向を変えていない様に思われる。それは正確な印象ですか?

John Pawson:完全に、私は31歳か32歳のころまで何も始めていなかった、だから私は用意ができていた。何度も私がしたいことを熟考していた。つまりそれは私の心の中にあった。だから私がした最初のことは、まだ今もなお有効である。さらに私は年を経たので、無為に過ごすものはない。如何に人々がいつもあなたをカテゴライズ(分類)化しようとしても、私にあっては人々はミニマリストという傾向があるが、それはおかしなことである。少なくともそれは最もしばしばあてがわれるタグ(レッテル)だ。しかし私は全体としてのポイント(論点、主張)はあなたが表現したいアイデア(考え、観念、イデア)からわきにそらされてはいないと思う。そしてその糸を保ちそのワーク(作品、取り組み)の中の一貫性や連続体を維持することから向きを変えないためにクライアントとの絶え間のない戦い(おそらくそれはあまりに強い)あるいは苦闘がある。みんなのように、私は思う、私は興味深くて永続する何かをしたいと思う。それがアイデア(考え、観念、イデア)だ。

Julie V.Iovine:あなたにとってミニマリズムが当を得たアイデア(考え、観念、イデア)であると悟ったとき、あなたは発見のセンス(感覚)を経験しましたか?

John Pawson:いいえ、まったく。私はいつも伝わる光に興味があったし、私はいつも私が生きている(生活している)仕方で、私が持っている素材によって、もの(物事)をシンプルにしようとしていた。私はミース・ファン・デル・ローエの様な視覚的にシンプルな建築に惹きつけられた。私は私達自身の時代のではなく、別の時代に属しているワーク(作品、取り組み)を見た、それは驚くべきものであったが、歴史的に残るものだった。それで私が1968年に雑誌「Domus」で最初に倉俣史郎のいくつかのワーク(作品、取り組み)を見たとき、私はこの人は私が考えていたことや、私が想像していた正確なアプローチのフィジカルな(物質的な)顕示(明示)を実際に目に見えるようにした人だと思った。だからある意味では彼は私のモデル(模範)だった。そして私が東京に行ったとき、私は彼を訪ねた。

Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
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倉俣史郎
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