James Turrell
Curator of the Exhibition and Catalogue : Ana Maria Torres
IVAM Institut Valencia d’Art Modern
GENERALITAT VALENCIANA

James Turrell(ジェームス・タレル)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=James+Turrell&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%AB
You Tube(James Turrell)
http://jp.youtube.com/results?search_query=James+Turrell&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(ジェームス・タレル)
http://www.b-sou.com/palw-Turrell.htm

P.65
J.T.:あなたが太陽系にはっきりと思い至るとすぐに、その外部には何かが存在し、あなたが銀河にはっきりと思い至るとすぐに、その外部に何かが存在し、あなたが宇宙にはっきりと思い至るとすぐに、その宇宙の中には何があるのか?私達がそれを閉じる時もまた新しい空間を創り出す、というのもそれは空間を外部にするからであり、それはそれに注意をもたらす。スカイスペースからローデン・クレーターのような何かに入って行くとき、つまりフラットな空間から天体の(天空の、天国のような)丸天井建築物へ入って行くときに、宇宙(秩序、調和)が私達の領域の一部になるまで、この閉鎖(囲い込み)はますますもっと起こる。光のよごれ(汚染)は環境的な災害の秩序上では高くないが、あなたが天の川の中に分割を見ることへのアクセスを封鎖するとき、あなたは文字通り、あなたが生きている、経験された領域のその部分を作り出すことができない。それはあなたの世界をより小さくしてしまう。それは深い心理的な効果を持っている。それが水平線に向かってあなたから離れて行くように見えるような場所で、私はあなたにそこでもうこれ以上、空(そら)を経験し尽くしてほしくはない。私はそれをあなたが中にいる空間と接しているところまで下げたい、だからあなたはそれがあなたの頂部に適当に(正確に)あるというように感じる。ローデン・クレーターはコスモス(宇宙、秩序、調和)を下げてもってくる。それは月を120フィート(3.66メートル)地下に持ってくる、だからあなたはあなたの領域で天体のオブジェクト(客体)を経験する。私が思うに最近起こっている最も変なものの一つは私達が月へ行く為に数年間GNPを費やしているということである。私達は月へ行った(ちっぽけな人工衛星で)それからスペース(宇宙空間、空間)の中で所信を明らかにした(意志を表明した)。私達は四六時中たった今もスペース(宇宙空間、空間)の中に存在しているが、それでもなおそのことを感じない。私はこのようなすばらしい知的な思考を持ちたいし、それらを身体的に(物質的に)経験させたい。それらを私達の生活や私達の領域の一部にするために。

Skyspaces(スカイスペース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&q=James+Turrell+Skyspaces&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Roden Crater(ローデン・クレーター)→P.250~319参照
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Roden+Crater&lr=&um=1&sa=N&tab=wi

P.66
A.M.T.:スカイスペースでは、あなたが説明したように、あなたは空(そら)を私達のレベルに持ってきた、ローデン・クレーターの中のコスモス(宇宙、秩序、調和)のように、Ganzfeld space(全体野の空間。闘値以上の刺激が存在しているが、それが一様なため形の知覚が成立しない視野の空間)の中では、それはまるであなたがそれの中で観察者に浸っているかのようであると感じる。

J.T.:確かに、それは絵画の平面を採っていて、Tシャツにように頭からかぶって着ている。これは誰か自身の外部の身体的(物理的)空間だけを巻き込んでいるのではなくて、生理的な白昼夢(楽しい空想)の空間も巻き込んでいる。それが私達が意識的に覚醒した状態に重ね合わせたものだ。その空間は無限ではないが、それは曖昧である。

→ここでもまたジャック・ヘルツォーク(H&deM)が重要だと述べていた曖昧性(アンビギュイティー)を思い出す。(井戸)

J.T.:私はこの開口部を絵画の平面として使った。私はスカイスペースの様な開口を切り出す時もあれば、あなたの頭の上にそれを引き寄せる時もあるだろう。私達が目を閉じたとき、私達は内部に入って行ける。瞑想的な空間の中には広大な世界が広がっている。これらの空間はしばしば意識的に覚醒した状態に重ね合わせられる。白昼夢(楽しい空想)とともにいながら。他のことを考えながら車を運転している人々は文字通り別の空間にいる。なぜなら彼らは意識的に覚醒した状態に白昼夢の状態を重ね合わせているからだ。この世界の別の例はあなたが本を読んでいる時だろう。