James Turrell
Curator of the Exhibition and Catalogue : Ana Maria Torres
IVAM Institut Valencia d’Art Modern
GENERALITAT VALENCIANA

James Turrell(ジェームス・タレル)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=James+Turrell&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%AB
You Tube(James Turrell)
http://jp.youtube.com/results?search_query=James+Turrell&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(ジェームス・タレル)
http://www.b-sou.com/palw-Turrell.htm

P.68
J.T.:彼等は私達が如何にこの現実を形作っているかということに私達が参加しているということを知らない。それはハイゼンベルクの原理の擬人化である、すなわち、それは私達が知覚するものは何でも、あるいは私達が実態を掴むものは何でも、私達はその様にすることによって変化させるということである。私達はその状況に入っていき、その結果その状況を変えてしまう。今それは彼が言っていたこととは正確には違う。それが如何に東洋の宗教が私達の前で起こる物事が私達が創造したものであると考えることと近いかということはある程度の真実である。私達は私達が知覚し、私達が知覚しようと決めてきた世界を創造することにまさに積極的に参加している。私達は如何に私達がそのようにしているかに全く気付いていない。それが私に興味を抱かせる何かである。各々のピース(作品)は勿論何か異なっているものについてのものである。しかし「the perceptual cell(知覚の小室)」は、本質的に如何に私が光について学んだかに対する敬意である。特にガス工場のピース(作品)、「oh.you think you know about light,feel it(おお、あなたはあなたが光について知っているということを考える、それを感じろ)」は、如何にあなたがフィジカルに(物理的に、身体的に)光を感じることができるかに注意を向けさせる。それは本当に何かであり、つまり、如何に私達がそれを知覚して私達のニュートラル(中性な、曖昧な)知覚を形作るのかというこは実に複雑であるということだ。

A.M.T.:たとえそれらがそうではなくとも、ある方法の中で「Perceptual Cell(知覚の小室)」はあなたの最初の作品としてみなされうる。

J.T.:それは真実だ。それらは如何に私がこの方法で光を見ることに至ったかを理解する方法を与える。その上私がより伝統的な作品を作る時、あなたは私が如何にそれを使うかを見る。それらは幾らかの良き手掛かりを与える。それは何故如何に私が光について学んだかを示すことにこれらの敬意を表することにとても私が興味を持ったのかという理由である(例えば電話ボックス)。「Dusseldolf Light Salon」は、あなたの首の後ろに光を当てる。20分間私はあなたに少なくとも4つの色を識別することを教えることができる。私はあなたにそれらが最初何なのか話す。同様に、私はまさにあなたが騙されようとしないことを確かめるためにヘルメットの中の場であなたに間違った色を与える。もしあなたがある時間の間十分これをかなりよく行なうならば、あなたが首の後ろで感じている光は実際にあなたのヴィジョン(視覚)にやって来る。だからあなたはあなたの首で光を「見」、あなたはそれをあなたのヴィジョン(視覚)のフィールドの中にあると考える。あなたの首の後ろにそれがある時。私達はまさしく私達の頭の後ろに目を持っている。すべての人は私達があなたの後ろのものを感じることができることを知っている。私が言った様に、まさに私達はそのセンス(感覚)の名前を持たないからといって、私達がそれを持たないということを意味しない。持つことの一部は、識別であるボキャブラリー(語彙)を持つことである。即ち、もしあなたの雪についてのボキャブラリーがより多くなれば、あなたは雪についてより知る。連想(連合)を生じさせる思考はとても力強い。エスキモー族は雪について約30の言葉を持つ、私達は少ししか持たないのに。私達は殆どドイツ語の様にそれに変更子を与える。この知識はより繊細な識別を持つことであり、それはボキャブラリーと関係している。私達は今では以前にはしなかった何かである光へボキャブラリーを与える。それは今始まりつつある。同じ方法でこのことは暗黒時代から交響曲が生み出された時代へと進む中で音でも為された。私達は光でこれをする必要がある。

→ソシュールを思い出す。言葉はその文化の必要性から生み出される差異の体系だ。「~の様に感じる」という知覚(クオリア)は文化の刷り込みである、言葉でそれを言い表せば当然その言語によってねじ曲げられる、あるいは言語にする以前でもそれは刷り込みに拠っている。(井戸)

Werner Karl Heisenberg(ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
ハイゼンベルクの不確定性原理
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
クオリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2