「存在」以外の全ての機能から建築を解き放つことを極端に表すためにマテリアルを使用した。そういう意味では、石の壁も文字の壁も違いはない。
ガラスが究極の現代的なマテリアルだとは思わない。ソウト・デ・モウラやロジャー・ディーナーの様に所謂伝統的なマテリアルを使用してもガラス建築家と同じぐらい現代の都市と複雑で興味深く応答してるだろ。
アートでいうとゲイリー・ヒルやビル・ヴィオラの様なビデオアーテストがリチャード・セラやジェフ・クーンズの様な画家や彫刻家よりもより現代的なんて誰も考えやしないだろ。
私たちはそういう「分類分け」を拒絶する。いかなるアプローチにオープンでいたいんだ。
以上
El croquis60 Ajejandro ZaeraによるJacques Herzogに対するインタビュー バーゼル1993年2月を読んでのメモ
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El qroquis 84 Jeffrey KIpnisによるJacques Herzogに対するインタビュー マサチューセッツ1997年5月5日を読んでのメモ
匂いは空間的な経験だ。私たちはいつも匂いをデザインしたかった。
多くの人が、建築の大志や責任感と比べて、現代のファッションや音楽やアートでさえもがうわべだけのものであると考えているが私たちは同意できない。私たちはそのようなカテゴリーで考えることは傲慢だと考える。
建築家はその時代の言葉(建築のフィールドの外からのファッションや音楽やアートから得られる時代の感覚)で話すことができないといけない。なぜなら建築とは公のアートで人々に対するアートであるからだ。
建築が永遠に耐ええたとき、建築はその時代の創造物以外の何もでもない。