ジャック・ヘルツォーグは、アートは建築の20年先を進んでいると言いましたが、あなたはこれについてはどうですか?
私にはそれが何を意味しているかわかりません。アートは建築と比較できるのでしょうか?アートと建築、それらのうわべの類似がどうであれ、異なった機能を持っている。ジャックはアーティストと話すのと同じぐらい話す建築家の同僚がいないと私に語ったが、これはおそらくアーティストとの議論が、あと知恵の利益を持って彼に建築をみることを可能にしている、あるいは、彼が批評的な思考を持っているアーティストに興味を抱いているということを意味しているんだろう。
多くの建築家がアートを模範としているが、例えば、1960年代のミニマリストのように・・・
多くの建築家はアートについて貧しい知識しか持っていない。フランク・ゲーリーのヴィトラ・デザイン・ミュージアムについて言えば、悪いキュビストの彫刻だ、それは100年遅れで建てられた。
→先日、たまたまうかがったギャラリーで、そこのオーナーと話していて、日本のアートの話から建築の話になったのだが、その方はジャン・ヌーベルとフランク・O・ゲーリーを高く評価していた。「日本には彫刻は存在しない。」とおっしゃっていて、刺激的なお話でした。全然関係ないですが・・・(井戸)
H&deMにとって、写真は最も重要なものだが、この興味については共有しているのか?
殆ど共有していない。私は自分自身をむしろ絵画の伝統の中にみている。私の参照は、ポール・セザンヌ、ピエト・モンドリアン、バーネット・ニューマンだ。写真は空間を扱う方法ではルネッサンスのアートと緊密に関係している。
→「バーゼルへの道」の様なタイポグラフィーの本を眺めていると、字組と余白の空間が建築の空間と何の違いもないということに気付くのだが、ザウッグの作品はそういう観念上かつ感覚上の空間とくにタイポグラフィーの空間についてはどういう風に自身の作品を位置づけているのだろうか?(井戸)
Paul Cezanne
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Piet Mondrian
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&q=Piet+Mondrian&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5
Barnett Newman
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&q=Barnett+Newman&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5