Gordon Matta-Clark
Eddted By Corinne Diserens
Survey By Thomas Crow
Essays By Judith Russi Kirshner And Christian Kravagna
Phaidon

(Gordon Matta-clark: Works and Collected Writings Gloria Moure Ediciones Poligrafa)

Gordon Matta-Clark(ゴードン・マッタ=クラーク)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Gordon+Matta-Clark&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Gordon_Matta-Clark
YouTube(Gordon Matta-Clark)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Gordon+Matta-Clark&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.169(P.177)
GM-C:見ることにクローズアップし、隣のドア(家)の500の生活と関係を作ること。私はのぞき行為は時々ひょっこり訪ねるよい空間であると思う。ただしそれはおびただしい献身と忍耐を必要とするので私は最近までしたことがない。しかしレディーメイドの様に、人は空白を、窓の中に枠取られた未完成のサイレントな行動を満たそうと取り組む。それは絶え間ない注意を必要とする、瞑想の顕現させるフォーム(形式)の様に。良き観察だ。変化の鋭い感覚・・・そう、あなたも知っての通り、あなたは適切な時に適切な場所を選ばなければならない、あるいはそれはいたるところだ。

P.175(P.261)
DILEMMA(ジレンマ)
Liza Bearによるゴードン・マッタ=クラークへのラジオ・インタヴュー
1976年3月にニューヨークのWABI-FMで初めて放送されたもの

イントロ:この番組(注1:1976年の春Liza BearはWABI 99.5FMでアーティスト達やパフォーマー達と一緒に6つの1時間のラジオ番組をしていた。その番組の最初の半分はリチャード・セラへのインタヴューだった。)の次のコーナーは、放棄さえた建物で作品を作る彫刻家であるゴードン・マッタ=クラークへのインタヴューです。彼の最も最近の作品はニュージャージーの郊外やパリやミラノやニューヨーク市の52埠頭で為されてきました。ゴードン・マッタ=クラークは2月にはロサンジェルスにいて、作品を作るためのサイトを見つけようとしていました。

LIZA BEAR:それじゃ、たった今ある種のジレンマの中にいるあなた自身をどのように見ますか?私は、あなたはロサンジェルスで作品を作ることはできなかったということを言っています。あなたはニューヨークに戻ってきてHolly Solomonギャラリーで再起する展覧会をします。

GORDON MATTA-CLARK:はい、確かにジレンマはある。そしてその大部分は展示の慣習と関係しているに違いない。私は決して私がすることが本当に展示の状況へと変形(翻訳)させることができるものであるとは感じない。

LIZA BEAR:ギャラリーの空間でも。

GORDON MATTA-CLARK:ギャラリーの空間あるいは・・・。

LIZA BEAR:なぜならそれは展示するオブジェクト(もの、客体)あるいは写真あるいは作品の残留物が必然的に伴うから、そうでしょ?

GORDON MATTA-CLARK:まさにそうだ。ジレンマはランド・アートから存在していたし、私は他の展覧会で解決されそうであるとは思わない。だから一種の精神分裂症がある、つまり(一方では)慣習的なギャラリーの展示空間と関係している作品があるということだ。

P.175(P.262)
GORDON MATTA-CLARK:その上私により興味を抱かせるものがあり、如何に現実の環境(周囲)の状況を人々に対してより接近できる何かに拡張するかということである。

LIZA BEAR:あなたがロサンジェルスにいた時、あなたはチカノ(メキシコ系アメリカ人)の隣人のところでいくらか過ごしたし、あなたがイタリアにいた時は、あなたはまたもその様に過ごした、私はその町がどこだったか思い出すことができない。

GORDON MATTA-CLARK:ミラノだ。ミラノの経験は最も興味深かった、何故ならそこではとてもラディカルな若者のグループが工場のコンプレックス(複合)を占拠していたからで、それはイタリア北部の重工業の特徴とその全住民とその産業との間の関係性のために私が興味を持ったその種の空間が生じていた。そしてここではこれらの若者達はそれをとても明白なプログラムで、つまり社会的声明、コミュニティーの声明で占拠していた。

Richard Serra(リチャード・セラ)
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