Art and Architecture in Conversation Series
Frank O.Gehry Kurt W.Forster
Hatje Cantz

Frank O. Gehry(フランク・オーウェン・ゲーリー)
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YouTube (Frank Gehry)
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フランク・オーウェン・ゲーリーとKurt W.ForsterとCristina Bechtlerとの対話

1997年8月24日カルフォルニア州サンタモニカにて

FORSTER:私はあなたの長い期間に渡るアートとの関わり合いやアーティスト達や他の建築家達とのあなたのコラボレーションはあなたが発展させたアイデア(考え)と大いに関係してきたのではないかと思う。この仕事外のものが典型的な建築家である人々とは全く異なった経験をもたらし、あなたの作品は他のアメリカの建築家が持たなかった方法で20年以上発展してきたと言うことができるだろう。何度も、あなたの取り組み(作品)は他のアーティスト達や建築家達の取り組み(作品)と相交わり、これらの結び付きは時代の後ろ側に到達する(広がる)ばかりでなく、他の文化に向かって外部に拡張もした。

GEHRY:他の文化や起源に戻る道との結び付きを考えること、それは、日本に行って本当に興奮し、その様なものは今まで見たことはなく、熱狂的に帰ってきたアメリカのGI(米兵)だと、私に典型的に示したGordon Drakeだった。私が最初にUSC(南カルフォルニア大学)に到着した時、彼は建築学校で教えていて、すぐにスキーの事故で亡くなった。学生達にとって、彼は一種の建築の「イエス(キリスト)」であった、なぜなら彼は35歳という、あまりに若く亡くなったからである。彼の死は彼のライフワークを短縮させた。しかしその学校には、かつて日本にいたことがあり、また日本の「カブトムシ」に挟まれたこともあり、帰ってきて、いつでも彼らが日本について話しスライドショーをする機会が得られた経験について雄弁に話した他の才能があった。私が始めたとき、建築家のレクチャーはいつも日本についてのもので、特に社(やしろ)についてのものだった。私は竜安寺の様な場所について考え、伊勢神宮は信じられないくらい凄かった。

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GEHRY:私は彼らが20年毎に伊勢神宮を再建するそのアイデア(考え)に最も印象づけられた。これは素晴らしかった。私にとって、それは西海岸でその当時起こっていたことに直接的に関係する様に思われた。

FORSTER:ええ、カリフォルニアには長年にわたる日本文化との結び付きがある。世紀の変わり目にも既に、グリーン兄弟や後にはフランク・ロイド・ライトは日本に夢中になっていたし、現在、次の千年期の間際にも、環太平洋地域との結び付きはますます明確である。

「もし建築がビルバオ(グッゲンハイム美術館)と同じぐらい素晴らしければ、アートなんかくそくらえ!」by フィリップ・ジョンソン

GEHRY:しかし伝統的な西洋の古典主義はそんなに刺激的ではない。ロサンジェルスはとても落ち着いた場所だったと私は言っている。それは急速に発展し、その発展に対して開放型の(制限なしの)アプローチがあった。あなたは、中国や日本の巻物やデイヴィッド・ホックニーがその当時について継続的に話していた絵画の様に、それは一時的な(エピソード的な、あまり重要でない、気まぐれな)ものだったと言うこともできるだろう。この種のことはみんなの関心事で(不確かで)、他のどこかからここに移った作家や映画製作者やアーティストやミュージシャンに感染した。彼らはロサンジェルスに来る以前にこの様に考え始めていたかもしれないが、彼らがここに着いたとき、それはムーブした(意見を変えた)、まさにそれがホックニーとともにした様に。

Frank Lloyd Wright(フランク・ロイド・ライト)
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Phillip Johnson(フィリップ・ジョンソン)
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David Hockney(デイヴィッド・ホックニー)
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Kurt Schwitters(クルト・シュビッタース)
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Merzbau(メルツバウ)
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Giorgio Morandi(ジョルジョ・モランディ)
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Richard Serra(リチャード・セラ)
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