Felix Gonzalez-Torres
edited by Julie Ault

P.40
RN:アートはパブリックとプライベートの、記憶と過去の間の領域の分類のしるしになった。

FGT:河原のペインティングの日付は抽象的だけれども、それらはまさに個人的なものだ。河原温から私はブレヒトのエピクディスタンス(叙情詩的距離?)の概念にジャンプしたい。私は何かをとても共通のものとして、とてもノーマルなものとして取り上げ、それをほんの少しシフトする(ずらす)戦略が好きで、それによって、オブジェクトは見る人と異なった関係を確立できる。私は極端にシンプルな材料が好きだ。とてもシンプルなものは見る人が(感情などを)たくさん表出することができ、深く複雑な応答をたかぶらせることができる関係を設立しうる。

RN:あなたの作品はタイトルが付けられていないけれども、挿入的な副題がある。タイトルでさえも隠れた部分を持っている。

FGT:作品はタイトルを付けられない。なぜなら「意味」はいつも時間と場所のなかでシフトしているからだ。そしてそのうえ、これは本当に私の言葉ではなく、私が学んだ言葉であるからだ。それで私は自分に負わされたものに何か名前を与えることに気が進まない。三つ目の理由がある。私自身のセクシャリティーは決して他の場所では明かされなかった。それは私によって隠されたが、私はそれを見つける事ができた。あなたはあなたのパブリックな人格とはなにかということに取り組まなければならない。このようなことをなにかのためにするあなたは何者なのか?何かと対話を成立させようとしているあなたは何者なのか?

RN:私はアートとはあなたが知っているたった5人か6人の人の為につくられ、その他の人みんなは、それから何かを得る人達で、それがエクストラ(余剰)だと信じている。

FGT:私は時々私の唯一のパブリックは私のボーイフレンドのRossであったと考える。堆積(紙やキャンディを積み上げた作品)はパブリックとの近い関係を設立し、作品に何度も再コンテキスト化されることを許すアイデアから来ている。毎回誰かが紙を取るが、それは完全に異なった意味とコンテキストを持っている。

On Kawara(河原温)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%89%CD%8C%B4%89%B7&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E6%B8%A9
Brecht(ブレヒト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88