Felix Gonzalez-Torres
edited by Julie Ault
steidl dandin Publishers

Felix Gonzalez-Torres(フェリックス・ゴンザレス=トレス)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Felix+Gonzalez-Torres+&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://www.b-sou.com/palm-Gonzalez.htm
YouTube(Felix Gonzalez-Torres)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Felix+Gonzalez-Torres&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.70
Tim Rollins:愛と恐れ(恐怖、不安)はあなたの作品の二つの際立ったテーマの様に思われる。

Felix Gonzalez-Torres:あなたがそんなこと言うのはおかしいことだ、なぜなら私はまさに考えていたところだ・・・先程私が「Hiroshima Mon Amour」について言及した様に、冒頭の一コマを理解するには私には長い時間がかかったからだ。女性の登場人物が言う「あなたは私を滅ぼす(破壊する)からあなたは私にとって心地よいの。」私は最終的にそれが意味するものを理解する。あなたは愛のために恐れの結果として滅ぼ(破壊)されうる。愛はとても独特だ、なぜならそれは生きるための理由を与えるが、それはまた恐れる(心配する)、極度に恐れる(心配する)、その愛を失うことを恐れている際立った理由を与えもする・・・。
それはまるで私が作品の異なったボディー(身体)を持っている様ではなくて、私は多くのフロント(見かけ)をまさに持っているのだと思う。それはほとんど女装しているようだ。私は必要に応じて異なった女装した人物になる。時々私はスタック(堆積)を作り、時々私はカーテンを作り、時々私はテキストのピース(作品)を作り、時々私はキャンバスを作り、時々電灯のひもを作り、時々写真の広告掲示板を作る・・・。いつでも成長し変化するピース(作品)がある。私がその所有者に何かを時々郵送し、それをこの大きな箱に入れていくピース(作品)がある。このピース(作品)は決して展示されない。私はあなたがそのピース(作品)について知っているかどうか知らない。

Tim Rollins:それをもう少し説明して。誰がこれらのものを得るのか?

Felix Gonzalez-Torres:この空の箱を買った人が郵送でこれらのものを得る。

Tim Rollins:この人はどのようにしてその箱を得るのか?

P.74
Felix Gonzalez-Torres:彼らはそれをアンドレアから買う。このピース(作品)は展示されるつもりはない。展示されるつもりがないばかりでなくその場所のいたるところで繰り広げられるつもりである他のピース(作品)がある。私は矛盾とともに取り組むことが好きだ、つまり完全に私的で、一方ではほとんど隠したがる作品を作り、他方では「本当に」公的な近づきやすい作品を作ることが好きだ。私達が知っているように、いくつかの所謂パブリック・アートは本当に屋外のアートである。それが街路上の屋外にあるからというまさにその理由が、それをパブリック(公的)なものにはしない・・・。

→確かに屋外の作品を屋外にあるということだけでパブリック・アートと呼ぶのにはウンザリする。それは当然「政治的正しさ」や「透明な権力」が働いていて、それを自発的無意識の中でみんなで支えているのだけれど。(井戸)

Tim Rollins:いくらかのアーティスト達は成功とともに退行する。あなたが作る必要があると思うものあるいは社会がその向うに持つ必要があるものを作ることとは対照的にあなたが作りたいものをあなたが作るという地点にあなたが至ったのはいつですか?これはブレヒトが十分に悩んだ弁証法あるいは矛盾である。社会的な変化に興味があるすべてのアーティスト達は必要性(必然性)の圧制の下で働いている(苦しんでいる)。

Bertolt Brecht(ベルトルト・ブレヒト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88

Felix Gonzalez-Torres:私はどのようにして必要(性)を定義するのか?それは個人的な必要(性)でありえるし、/あるいは政治的な必要(性)でありえた。私はこの社会の中で生きている一人の個人であり、私はこの社会とこの文化の制作物だ。私は単なるリフレクション(反映、映った像、内省)ではなく、私はその文化それ自身であり、それ故私が作るものは何でも・・・私は私が作るすべてのものは私の文化によって必要とされていることを望む。私は文化が何かを最前面に置く時それはそれが必要とされているからであるといつも思う。それはあるアイデア(考え)や、あるオブジェクト(もの、客体)や、どんなものでもありえる。それはそこに長く長く存在しえるが、それはこのオブジェクト(もの、客体)あるいはアイデア(考え)が重要になる「用意ができている」と文化が感じる時のみである。

→アルチュセールやフーコーの影響だろう。(井戸)

Louis Althusser(ルイ・アルチュセール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC