Donald Judd
Architecture
Hatje Cantz

Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Donald%20Judd&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89
美術家の言葉(ドナルド・ジャッド)
http://www.b-sou.com/palw-Judd.htm
You Tube(Donald Judd)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Donald+Judd&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
The Chinati Foundation(チナティー・ファウンデーション)
http://www.chinati.org/visit/openhouse.php

Art and Architecture(アートと建築)

P.26
Donald Judd:私はいつもフォーム(形態、形式)とコンテント(内容、意味)の分割を嫌ってきたし、「しかし何がそのコンテント(内容、意味)ですか?」や、「それは何を意味しているのですか?」と尋ねられたとき、何を答えればいいか決して知らなかった。近ごろ、このアンリアルで(実在しない、想像上の)情報を与えない分割が、まさに思考と感覚の間のより大きな分割の一部であるということが、私に思い浮かんだ。フォーム(形態、形式)とコンテント(内容、意味)の分割は、発展しつつあるアートのまさに相互的なプロセスとも適合しないし、見ている観覧者の経験とも適合しない。それはまた思考と感情の間の分割と同じ様な不合理さも持っている。両半分は、単独で考えられるとき意味をもたないし、如何なるファンクション(作用、機能、目的)もない。意味や、質や感覚なしでフォーム(形作られる、生じる)されうるフォーム(形態、形式)はない。私達は、岩についての感覚や、如何なるものについての感覚さえも持っている。それは意味をもたないあるフォーム(形態、形式)を作ることと矛盾(否定、反対)する。フォーム(形態、形式)なしで感覚を表現することもまた不可能だ。それでは言われたり見られたりできない。具現化はアートの中心的な努力(活動)であり、それが作られる方法(過程)であり、まさに無からの何かを生じさせることである。すべてのものは一緒に起こり、一緒に存在し、意味のない二分法によって分けられない。あるいは、もし赤がそれ自身によるある質あるいはある感覚を持っているのであれば、そしてもし、またある感覚を伝えもするアイデア(観念、考え)によって後にそれが変えられるのであれば、それはどのように純粋なフォーム(形態、形式)を作るために感覚から剥奪されうるのだろうか?どのように感覚はそれを生じさせる赤から剥奪されうるのだろうか?もし赤がその感覚や、それを変え感覚と相伴うアイデア(観念、考え)から引き離されていたら、私達にとってそれはどのようでありうるのか、それは何なのか?フォーム(形態、形式)とコンテント(内容、意味)の間の分割は、アートの理解には基づいていなく、ある曲解(偽造)である。それは議論において条件付きで役に立つものでさえない。それはアートは言葉に関するものであり、さらにコミュニケーションであるということを否定する。その分割は存在しない言葉に関する種類のコンテント(意味、内容)を要求する。これはすべての種類の明確な義務、特に道徳的なものや政治的なもののためのアートの中の要求(主張)と否定を結果として生じさせる。幾らかのライターは道徳的で政治的な意味への絶え間のない需要(要求)のために明らかに(無理もないことだが)フォーム(形態、形式)を擁護する。殆どの人はコンテント(意味、内容)を擁護する。しかし純粋なフォーム(形態、形式)を論ずることは、アートに対する間違った尽力である。つまりそれはアートへのミーニング(意義、効力、目的、意味、考え、底意)を否定する。

→マレーヴィチの影響が顕著だ。ドゥルーズやロラン・バルトの影響も感じる。フォーム(形態、形式)とコンテント(内容、意味)の議論は、コールハースとアイゼンマンのAAでの対話でも主要な論点である。ここでの「コミュニケーション」は日本で税金が多少なりとも投入されているアート関係者が持ち上げるヒューマニズム(人間中心主義)というイデオロギー(信仰)とは関係がなく、むしろ科学者的な視点のものである。AA WORDS 1でコールハース曰く「ヒューマニタリアン(人道主義者)やヒューマニスト(人間主義者)あるいは建築的に「素晴らしい」方法には興味がなく、むしろ単にどのように人々が今日の世界的な文化の流動や振る舞いの中で存在するのかに興味がある」(井戸)

Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
美術家の言葉(カジミール・マレーヴィチ)
http://www.b-sou.com/palw-Malevich.htm
Suprematism(シュプレマティズム)「無対象感覚絶対主義」
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Malevich+Suprematism&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88