Donald Judd Colorist
Hatje Cantz Publishers

(Donald Judd Edited by Nicholas Serota D.A.P./Distributed Art Publishers,Inc.)

Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Donald+Judd&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89
美術家の言葉(ドナルド・ジャッド)
http://www.b-sou.com/palw-Judd.htm
You Tube(Donald Judd)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Donald+Judd&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Some aspects of color in general and red and black in particular(1993)
Donald Judd

P.91(P.150)
Donald Judd:100年以上もの間の色の主たる(本来の、基本的な)重要性にも関わらず、今、理論がない。色の最後の哲学、それはかつてそうだったものであり、事実であるのと同じで、その混合は避けられないだろうし、少なくともアートにおいては、1963年の「The Interaction of Color(色の相互作用)」の中でジョセフ・アルバースが述べていた事であった。パート1で、アルバースはこう始める、「もしある人が『赤』(色の名前)と言い、それを聞いている人が50人いれば、彼らの心の中には50もの赤が存在するだろうことが予期されうる。そして人はこれらの赤すべてが本当に異なっているだろうことを確信しうる。」それが哲学であり、それはアルバースがバウハウスで教えられたものとは一致しない。
私は子供の頃にある色はある感情を生み出すと思われていることを知った。私は何故Bull(空になった酒樽に水を注いで作った飲み物?)がひどい赤になるのかわからなかった。ヨハネス・イッテンとカンディンスキーは、色はいつも同じ感情を生み出し、その上色はいつもあるシェイプ(形)に一致(調和)する、その二つ(色と形)は一緒に感情に一致しながら、とバウハウスの彼らの重要な色の科目で教えた。

→色の探究はジャッドからRemy Zauggへと影響していった。(井戸)

Josef Albers(ジョセフ・アルバース)
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Johannes Itten(ヨハネス・イッテン)
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Wassily Kandinsky(ワシリー・カンディンスキー)
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Bauhaus(バウハウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9
Remy Zaugg
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P.92(P.151)
Donald Judd:私が最も好きなそのアイデア(考え)は、カンディンスキーのペンタゴン(五角形)がスクエアー(四角形、四角い広場)を結合させたもので、それは赤くて、三角形もともなっていて、それは黄色で、オレンジ色を作るためである。そのアイデア(考え)は、新しく塗られたペンタゴンが戦争で色を使う最初の機会に成り得るために、ワシントンに送られるべきだ。スクエアー(四角形、四角い広場)は死で、三角形は激烈さである。円は青で無限と平和である。私は本気で熟考するのに十分な色の起因を神と愛国心をともなったものに求めない。私は50年代あるいはその後に議論されたそのようなアイデア(考え)を憶えていない。反対に、「warm(暖かい)」や「cool(涼しい)」ということばはまだ記述として使われているが、感覚の温度計として使われてもいる。よりぼんやりとしたアイデア(考え)ほど、それはより長く持続する。つまり、衰退の中でそれはよりぼんやりとしたものそして永続するものになる。
ビギニング(始まり)においてアーティストにとっての基本的な問題は、色が彼らの作品の中で決定的なものである間に、その発展は力であり、色についての情報は広大で多くのフォーム(形態)の中で、一部は技術的に一部は哲学的に起こる。技術的な情報は、それが必要とされるまでは不適切で面白くない。哲学はまれに適合する。どのくらいアーティストが前進(進歩)の中で学ぶことができるかに対する限界がある。アーティストは色の特別な知識が存在し広大である間、つまり、世界の事項が無限である間に、未知のものへ向かってただ一歩一歩取り組む。これは差し迫った状況では圧倒的である。色は学ぶにはとても難しい、というのもそれは役に立つものを知ることは難しいからだ。各事項はアーティスト自身であるに違いない。それにもかかわらず、色はアーティストのはじまりに教えられるべきだ、第一に直接的に関係する(今日的な)ものであるかもしれない知識として、第二に、アートの歴史の知識として、それは活動(変化を生じさせる力)の歴史の知識であり、その活動(変化を生じさせる力)の中の色の歴史の知識である、第三に、アーティストとして始まりから唯一教えられるべき新しいアーティストの為の日々の新しい知識として。その助けはそれが完全に個人の努力の中で必要とされるとき一歩一歩になるべきである。

→マレーヴィチが絵画から意味を剥奪し、オブジェクトと感覚だけの世界を提示したように、ジャッドはオブジェクトと色と感覚と配置(空間内の位置関係)だけの世界を提示しようとしたのか?表象という従属的な色からの色の自立、表象という従属的な形態からの形態の自立、表象されたものからの感覚から色や形態や配置それ自身から受ける感覚への移行、いやそこでは「私」がオブジェクトから何かを「感じて」「考えている」のではなく、時代や社会に影響された「私」はなく「個」がそのオブジェクトと光や温度や空気や触覚や神経の電気を通して繋がっている系の中でお互いに作用し合っているのかもしれない。
アイゼンマンの「建築の自立」「恣意的な建築」(形而上学的な「人間中心主義」ではない建築)を思い出す。(井戸)

Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
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美術家の言葉(カジミール・マレーヴィチ)
http://www.b-sou.com/palw-Malevich.htm
Suprematism(シュプレマティズム)「無対象感覚絶対主義」
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Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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