El croquis 80 daniel libeskind 1987-1996

Daniel Libeskind(ダニエル・リベスキンド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Daniel+Libeskind&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Libeskind
You Tube(Daniel Libeskind)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Daniel+Libeskind&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Jewish Museum(ユダヤ博物館)
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Jewish+Museum&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.13
Daniel Libeskind:たとえもし線がグラフィック(生き生きとした、図解の)であるべきだったとしても、それらはそれらのメイキング(制作、発展過程)の中で表示(しるし)になるだろうし、このメイキング(制作、発展過程)に先んじる何かや、それ自身の未来、つまり彼らが触れているものに鈍感な人々には見えないままになっているだろう未来へ既に歪められてきた何かがある。白紙であることはただ明白な白紙であることだろう。おそらく目に見えない線は単にあなたが見ることができない抽象的な線ではない。それらは必然的に未来が動くだろうものに沿った線だ。
如何なる建築家も、あるいは未来を扱う如何なる都市計画家も一般的(全般的、普遍的)な軌跡を知る責任と、これらの決定的な線への倫理的な責任を持っている。それらは圧倒的な(破壊的な)線に、全体的な終焉と消滅の中で終わる線に、あるいは信仰(誠実)の、あるいは希望や精神の線に成り得る。

Donald L.Bates:それは線の第一の結果のひとつですか?、また第一の建築の関心事でもありますか?、こちら側は良くてあちら側は悪く、こちら側は私達であちら側は私達でないという、この様な差異の境界ですか?、そしてこれは最も深遠なセンス(感覚、意味)中の差異をコンストラクト(構築)するルールですか?

Daniel Libeskind:興味深い質問だ。都市のための最も太古のエジプトのヒエログリフ(象形文字)の一つは直角の二つの線の交差である。それらはある可能性の交差をマークする(しるしをつける)。再びヒエログリフの中で、点と円は存在の交差を定義する。点が大きければ大きいほど、存在と空虚の交差はより強調される。とても太古の、サンスクリットの文化では、ラスタ(あるいはグリッド)は9つの平行の線の間に生み出された境界線から出てきた力である。それらは一種の空虚の力の中心を保持している。それ故、力と線であることや、力と線でないことは場所を作ることや点を作ることやそれを閉じることや、それが開いているものとの不可能な交差の中でそれ自身を失わさせることもまたかなり関係するだろう。
建築は永遠に何かを掴もうとしそれから場所を作り出そうとする、ことわざ(言いならわし)に、「これは忘れられない、これがその場所だ。」そしてそれはこの場所に他者によって見捨てられたままになったすべての反響(響き、共鳴)をもたらす。これは終わりのない論題であり、それは境界の基本的な(根本的な)問いである。

P.17
Daniel Libeskind:最近私が中国にいた時、私は私が見たものを信じられなかった。私はいつも中国の万里の長城は、世界の残りの部分から皇帝の外部の影響を受けない分断として機能した、皇帝による焚書を伴った壁だと思っていた。そこに立つと人は焚書の中で、皇帝はなんとかしてすべてのものを焼き尽くせなかったと理解する。壁の創作は中国の遺産全体を思い出させる線に帰着する。私はその壁の上に立った時それを見た。

始皇帝の焚書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%9A%E6%9B%B8