Dan Graham
Contemporary Artists Series
Phaidon

Dan Graham(ダン・グレアム)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Dan+Graham&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Dan_Graham
You Tube(Dan Graham)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Dan+Graham&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.17
D.G. :それは彼らが彼ら自身を如何に見たかにも影響を与えた。私が振り返り私自身あるいは私の後ろの鏡を見ているあるいは鏡を経験しているよりもむしろ鏡を見ている観客についてことばで述べた時、私はあちこちを動き回ることができ、そこは観客がそのように動き回れないところだった。だから私は彼らが持ち得ない私自身と観客の異なったパースペクティバル(遠近法的、観点的)見方を得たんだろう。というのも彼らはスペース(空間)に固定されていた。

P.19
D.G.:そういう感覚(意味)では、それは彼ら自身の知覚的状況の中で巻き込まれた(関係した)観客についてのものであり、ルネッサンスのパースペクティブ(遠近法)の限界についてのものでもあった。

M.F.:例えばその種の相互作用、つまり背後の鏡や空間的なゆがみと折衷している状況で含意されている観察者の人影などが描かれているモネの「Bar at the Folies-Bergere(1881-82年)」のような絵画にあなたは歴史的に興味はなかったのですか?

D.G.:いいえ、私はモネについて考えたことがなかった。私はあなたが述べていることは後に「Public Space/Two Audiences(1976年)」の中で現れてきたと思っている。私はただ哲学の心理学のモデルに興味があったのであり、それはサルトルが彼の現象学の実存的な形態(形式)の中で述べていたもので、そこではあなたは唯一エゴ(自我)と他者の知覚上のプロセスによって影響されていることを通してのエゴ(自我)としてのアイデンティティー(自分自身であること)を持つのみである。

Claude Manet(クロード・モネ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%8D
Bar at the Folies-Bergere
http://en.wikipedia.org/wiki/A_Bar_at_the_Folies-Berg%C3%A8re
サルトル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB
現象学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E5%AD%A6

M.F.:1976年までに、あなたは建築について書き始めていました。あなたは模型を作っていました。それらのいくらかは住宅の規模でのみ実現され得た。そしてあなたはパビリオン(あずまや)、パビリオンのような構造体を作り始めていました。「Two Adjacent Pavilion(二つの近接したパビリオン)」は1982年のドキュメンタ7でフルスケールで実現化されたが、1978年には考え始められていた。そのパビリオンの作品はどのように発展しましたか?

D.G.:それらは1978年のオクスフォードの現代美術館での私の展覧会から発展した。私が「Public Space/Two Audiences(1976年のベニス・ビエンナーレでのArte Ambiente(アートの雰囲気?))をした後、私はそのピースはあまりにも完全過ぎたと悟った。白い壁があり、その反対側には鏡の壁があったから、それは作用した(有効に働いた)。私はもし私が白い壁を取り去ったら何が起こったんだろうかと好奇心を持った。それは建築になっただろう。つまり、それはもはやギャラリーの一部分ではなくなっただろうと。私はPublic Space/Two Audiencesと似ている一連の模型を想像し、それには鏡あるいは他のスクリーンの形式によって各々分割されている部屋があった。私は約10の模型を作った。いくつかは、郊外の状況や少しユートピア的なもののためのものである「Alteration to a Suburban House 1978年(郊外住宅の改変)」やあるいは「 Video Projection outside Home(1978年)」のようでさえあり、映画のファンタジー(空想)のようであった。

Alteration to a Suburban House 1978年(郊外住宅の改変)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Alteration+to+a+Suburban+House&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5uburban