Hans Ulrich Obrist
Interviews
Volume 1
CHARTA

Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Constant+Nieuwenhuys&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon

Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.169
Hans Ulrich Obrist:「ニュー・バビロン」の時期に、あなたはあなた自身を単に一人の建築家だと見做しましたか?

Constant Nieuwenhuys:私は「ニュー・バビロン」をこれっぽっちも建築的なプロジェクトだとは見做さなかった。私の目には、それはアーティスト、つまり画家あるいは彫刻家によって為されたイラストレーション、つまりあるアイデア(考え)のイラストレーションである。私達はアムステルダムのStedelijkで展覧会[Die Welt als Labyrinth(迷宮としての世界),1959年]を計画し、私達はアムステルダムの街の中を通る3日間の「dérive(漂流)」を計画した。しかしながらそのミュージアムのディレクターはそのプロジェクトをキャンセルした。しかし私はそれさえ既に素晴らしいことだと考えた。後にドゥボールはそのミュージアムのディレクターがそのプロジェクトを見捨てたことが幸運だったと認めた。私もそうだった。最後の瞬間に物事がキャンセルされた事実はとてもシチュアシオニストだった。そしてポンピドゥーセンターが現在から約10年ほど前に、Internationale Situationniste(インターナショナル・シチュアシオニスト)の展覧会を開いた時、オープニングの次の日、そのミュージアムのスタッフがみんなその展覧会[Sur le passage de quelques personnes à travers une assez courte unité de temps. A propos de l’Internationale Situationniste 1957-1972(比較的短い時間を通した幾らかの人々のパサージュ(通過):インターナショナル・シチュアシオニストに関して 1957-72年),Centre National d’Art et de Culture George Pompidou,Musee National d’Art Moderene,Paris,1989]の完全な持続の為にポンピドゥーセンターを閉めて、ストライキを続けたのはまたとてもシチュアシオニストだった。私が知っていた人々はその展覧会を見る為にイタリアから遥々やって来た。高度なシチュアシオニストを、私は見つける。

Hans Ulrich Obrist:あなたはまだ「ニュー・バビロン」は応用できないモデルのままであると運命づけられていると考えていますか?

Constant Nieuwenhuys:はい。私はいつも「ニュー・バビロン」は「ニュー・バビロニアン」によって創造されるだろうと言ってきた。私はそのテキストを「ニュー・バビロン」を始める前に既に書いていた[Une autre ville pour une autre vie(別の生活の為の別の都市),I.S.,No.3,1959]。まだ発明(創作)されていない生活の方法に適応された建築的なプロジェクトを想像する為に人はどのようにして想定されるのだろうか?

Hans Ulrich Obrist:しかしあなたのドローイングや、模型や、絵画を通して、それは正確にはあなたがスケッチアウトし(描き出し)ていたものではなかったのか?

Constant Nieuwenhuys:絵画は何か高度に個人的なものである。私は抽象画家ではない。私は私の世界の概念を示す。私の場合、私は社会批評(批判)を提示する。

P.170
Hans Ulrich Obrist:モンドリアンは絵画を応用できないモデルと見做していた。あなたのそれに対する考えは?

Constant Nieuwenhuys:「ニュー・バビロン」は理想主義的(観念論的)だった。私はマルキスト(マルクス主義者)、つまりアンリ・ルフェーブルが言うところのマルキシアン(マルクス主義者)だった。モンドリアンは人智論者だった、それは全然異なっている。私はモンドリアンの考え(イデア)にまったく同意しない。彼は敬意に値するが、私はそれらに反対する。

International Situationist
http://www.cddc.vt.edu/sionline/
Guy Debord(ギー・ドゥボール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
Piet Mondrian(ピエト・モンドリアン)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Piet%20Mondrian&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi
Karl Heinrich Marx(カール・ハインリヒ・マルクス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9
Henri Lefebvre(アンリ・ルフェーヴル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB
Johan Huizinga(ヨハン・ホイジンガ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AC