In Girum Imus Nocte et Consumimur Igni
-The Situationist International 1957-1972
Jrp/Ringier

Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Constant+Nieuwenhuys&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.99
HAAGSE POST:それではその点ではあなたと「Provos(1960年代半ばのオランダの反体制運動)」は同意していたんですね。多くの挫折した(欲求不満)の創造性とともに多くの攻撃もあるにちがいないが、社会は創造的であることに対してじゃまをしたのか?

CONSTANT:創造性はいつもすべての人に対して阻止されて(欲求不満にされて)きている、例外なく、なぜなら生き残る為の苦闘はいつも人々を役に立つ存在や実用的な行為やネイチャー(自然、本質)に反する苦闘や食物や水や衣類を提供する(蓄える)ことに拘束してきた。

HAAGSE POST:もしすべての人が世界の中ですべての時間を持っていたなら、それは創造性の波を促進しますか?

CONSTANT:すべての人が、多かれ少なかれ、創造的だ。それは私達の古いCobrA(コブラ)の概要の内の一つである。保育園の子供は遊び、劇を創り出し、描く。すべての観点で彼らは驚くべき創意的な方法で彼ら自身を表現する。しかし全体の(完全な)教育システムは子供を有用な市民、後に彼ら自身の生産的な役割を果たすことができ、「高い利益を生む動物」の務めを果たすことができる人に変えるためにデザイン(計画)されている。それは各々の産業的なプロレタリア(無産階級)の人が彼が仕事を外れると直ぐにアーティストととして現れるだろうということを意味しているのではない。これはあるとても特別な革命的なプロセスを要求する。それは(幼少期の)教育の、思考力(精神構造)の問題だ。そして私は20歳を越えた誰かの思考力(精神構造)が根本的に変えられるとは信じていない。

HAAGSE POST:それではこのプロセスはまだ十分多くの年月がかかりますか?

CONSTANT:そうだ、しかし大衆が彼らの義務と責務から自由な時、人々が彼ら自身の生活を、存在(実存)の為の苦闘の要求の周りに配置するよりも、遊びの為に使う社会を私達は持つだろうと私は信じている。

HAAGSE POST:それは「ニュー・バビロン」の核心ですね。しかし「ニュー・バビロン」のすべての住人はすすんで遊ぶのかあるいは遊ぶことができるのかどうかという問いが残る。

CONSTANT:とにかく多くのエネルギーが解放されるだろう。現在、自動化の時代において、人類によって今まで成し遂げられてきたすべての仕事は生命のない機械によって成し遂げられることができることが明らかになる。数年間の間に人々は人類は機械を使えるようにすることが絶対必要であると信じたが、それはまったく真実ではないことが明らかになる。自動化は正確には他の機械によって機械を使えるようにすることを意味する。それはサイバネティックス(制御と通信を扱う学問)である。結果として人々はもはや必要のないものとして取り返しのつかないことになるだろう。

HAAGSE POST:予見できる未来の中では、あなたはどう思っていますか?

CONSTANT:はい、産業化された国々ではそれは数年の内にとても高いレベルまで成し遂げられるだろう。ノーバート・ウィーナーは彼の本「The Human Use of Human Beings(人間機械論)(1950年)」の中で、働くプロセスからの人々の排除のために、それは新しい世界大戦の出来事の中での場合だろうと書いている。数年前にオランダでは自動化のプロセスは給与の莫大な上昇によって莫大な衝撃を与えられた。

Norbert Wiener(ノーバート・ウィーナー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC

P.100
CONSTANT:自動化された生産施設の投資コストが給与(それは人類の生産施設の投資である)よりも低くなるとき、それは新しい衝撃を提供するだろう。すべての新しい支払い(給与)の上昇はそれゆえ実際に全体としての自動化の方向の中でよいステップである。