Anish Kapoor
Past Present Future
Institute Of Contemporary Art / Boston
MIT Press

Anish Kapoor(アニッシュ・カプーア)
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http://en.wikipedia.org/wiki/Anish_Kapoor
YouYube(Anish Kapoor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Anish+Kapoor&search_type=&aq=f

P.36
Anish Kapoor:確かに。自己明示(自己出現)のアイデア(考え)は神とオブジェクト(もの、客体)を作ることの作者の問題を廃止する様に思われる。「Past,Present,Future(過去、現在、未来)」の場合では、フィクション(作り話、虚構)は話したり、壁を掴んだり、それから平円盤状のものを切り離したり、空間の中でそれを回転させたり、それはあるオブジェクト(もの、客体)に帰着する。それは彫刻を作るとても古い方法である。とても興味深くて基本的なフォーム(形態、形式)やたくさんの異なった建築と関係していると私は考えているそれが提案するシンメトリーについての何かがある。勿論私はいつも多くのシンメトリーのフォーム(形態、形式)を作ってきて、そのフォーム(形態、形式)はそれらが何かを360°あるいは180°あるいは幾らかの変度で動かすことによって作られたということを提案する。

Nichalas Baume:それでは、「明示された」自身よりも、自身への一種の抵抗、あるいは自身とその外部との間のコラボレーションがあるに違いない。

Anish Kapoor:私がHaus der Kunstで作ったピース(作品)は建物のドアを通り抜けた赤いワックスのマテリアルの大きな塊りだ。それはドアよりも大きい、だからそれはそれらによって「刻まれて(切り分けられて)」いる。このプロセスをセットアップした結果が矩形のフェーム(形態)、大きな塊りだ。再度、それは自己生成のフィクション(作り話、虚構)を使う。

P.38
Nichalas Baume:樹脂のピース(作品)では、泡の静的で凍結された瞬間とそれがほのめかす可動性(流動性)の間の対話がある。

Anish Kapoor:私が作った最初のものは「Space as an Object,2001(オブジェクトとしての空間、2001年)」と呼ばれた。泡が透明な塊りの中に封じ込められたとき、それはまるで、「プロト(原始的)」センス(意味、感覚)で、空間がオブジェクト(もの、客体)になったかのようだ。それはおそらく空気(雰囲気)であるが、それはまた空間でもある。それはまたとても適切な状態の中にあり、つまりこれらの泡の中にはほのめかされた動きがある。そのマテリアルは熱と圧力両方の下で硬化される。あなたがそのマテリアルを注ぐ時、いつもその中のどこかに空気がある。トリック(策略)は如何にその空気を中心に入れるかを学ぶことだったが、その現われるフォーム(形態)は完全にランダムだ。私はこれらの一連のオブジェクト(もの、客体)全部を一緒に置いている。それは蝶のコレクションの様だ。

Nichalas Baume:あなたの作品はいつもとても強い美的なサイン(署名)を持っているとすれば、それは自己-生成オブジェクト(もの、客体)についてあなたが話していることを聞くことは直観に反したことの様に思われる。さらにそれは1960年代からの多くのアーティスト達にとって自身の外部へ出るために避けられないもの(規則、規範)は実際にとても強いアーティストのサイン(署名)を導くということは、良く知られているパラドックスである。ルウィットは明らかにルウィットであり、ジャッドは明らかにジャッドである。さらに自己への幾らかの種類の抵抗あるいは否定はこの作品の強度には本質的だ。私の見方では、それはすべてをコントロールしている主観性のフィクション(作り話、虚構)は私達の時代では支持できない。自己を越えてプロセスと連動するアートの作品は何が今日のライフ(生活)を経験する為のものかについてより誠実な様に思われる。

→ポスト構造主義以降では、主体性という人間中心主義自体一つの信仰に過ぎない。主体性の「不在」を現象させる時、慣例的な人間中心主義的な範囲で作動させられているルールを、過剰に脱人間中心主義的に作動させる。それを明白な作家性と読むかは解釈の問題ではないのか。(井戸)

Sol LeWitt(ソル・ルウィット)
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Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
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Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
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Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
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Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
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Roland Barthes(ロラン・バルト)
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Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
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Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
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Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
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Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
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