El croquis 140
Alvaro Siza 2001-2008

Alvaro Siza(アルヴァロ・シザ)
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You Tube(Alvaro Siza)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Alvaro+Siza&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.11
Alvaro Siza:たとえこれらのスタディーがその場で起こっていることを越えて行ってしまうと私は思っていても、これらのアイデア(考え)は状況(姿勢、態度)と位置の異常に広い範囲の証拠(形跡)である、何故ならそれは私達は絶対的な断絶あるいはそのような激烈な変化を目撃しているとは私は思わないからだ。職人の技術の様に、私に興味を抱かせ私が建てた方法に影響を及ぼす他の論点もまたある、それは消えつつあり、それは建築における新しい解釈(解答、解体)と避けられない変化の必要性を含意する。

Juan Domingo Santos:私はその問題について正確に話したい。あなたの作品は極端に手作業だ、あなたはディテールや職人の技術が好きだし、あなたが言った様に、今日打ち込んでいる腕のいい職人を参加させる高い質の作品を作り出すのはだんだん難しくなりつつある。そのことはどのようにあなたの作品やあなたがプロジェクトに取り組む方法に影響を及ぼしましたか?

Alvaro Siza:それが私が建てた方法に影響を及ぼしてきたのは疑いがない。それにも関わらず、質の欠乏は職人の技術におけるまさに現象ではなく、産業化されたコンストラクション(構築)における現象でもあり、そこではディテールがもっぱら(大規模な)製造プロセスの要求に答えるのみである。私は産業化されたコンストラクション(構築)はその問題を解決しようとしているとは思わない。事実、それは他のものをもたらしてさえいる。

P.13
Alvaro Siza:職人の技術の問題よりもむしろ、仕事に最も影響を及ぼすのは、ディベロッパーの広く行き渡ったせっかちさと彼らの建築への興味の欠乏である。私は彼らの興味の不変の減退に注意している。ディテールに正確に落とし込まれる高いコンストラクション(構築)の質を期待しているオーナーを見つけることはきわめて難しい。私が建ててきた何処でも一般的な傾向は建築プロジェクトに対して可能な最もびっくりさせる外面的(表面的)なイメージを作り出すことだったが、それは内部空間の関心なしにである。

Juan Domingo Santos:あなたは建築の制作は文学や音楽あるいは映画と同じくらい個人的な(親密な)(自身の中で始まりと終わりである)エクササイズ(修練、課題、実行)だと思いますか?

Alvaro Siza:私は建築のエクササイズ(修練、課題、実行)の基本は集合的だとはいえ、極端に個人的な(親密な)部分があると思う。増えつつある人々とディシプリン(学問分野)が巻き込まれ、そういう集団作業がプロジェクトの発展の基礎である。ある程度まで、建築言語でさえオーナーとの関係性から生じる。他方で、各々の建築家の個々の作品が必要になるときがあり、それは外部で起こっているものに対するそのプロジェクトの態度(姿勢、主張)の源泉である。その内部はその作品の作家性の意味を明確にするものであり、他のすべてのものからそれを差異化するものである。