El croquis 140
Alvaro Siza 2001-2008

Alvaro Siza(アルヴァロ・シザ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Alvaro+Siza&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5&gbv=1
You Tube(Alvaro Siza)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Alvaro+Siza&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.7
Juan Domingo Santos:私達の会合のために選ばれた場所は彼の最近のスタジオであり、人気のある地域のドーロ川の堤防の上に最近建てられた建物だ。急な狭い街路を進むと、そこはカラフルにペイントされた家々や庭や日曜日の朝には隣人達が訪れる小さな宗教的なエリアによって囲まれている。その建物は別々の金属のドアと急な階段が貫入している年数を経たグレーの石の厚い壁の後ろに隠れている。内部は3つのポルトガルの建築家の最近の世代のスタジオ(Tavoraとシザとソウト・デ・モウラ)があり、彼らははっきりと国(地方)の建築としてとられる方向を据えてきた。作業空間は大きな木枠の窓があり、ドーロ川とポルトの町を見渡す素晴らしい眺めのオープン・プランの部屋の中に配置されている。それは特別大きくはないが、建築のためばかりでない、数え切れないほどの模型と同じように、壁の上に吊るされているスケッチで満たされている。産業的な試作品や、著わされたピースや、彫刻の展覧会のためのスケッチや、タペストリーのための色のテストや、セラミックのマテリアルで包まれるだろうFatima Sanctuaryへの増築のためのスケッチ図で覆われた巨大な壁を見つけることができ、そのすべてが人にそのスタジオの時間のかなりの部分がアートワークに費やされていると考えさせる。

Fernando Távora(フェルナンド・タヴォラ)→シザの師
http://pt.wikipedia.org/wiki/Fernando_T%C3%A1vora
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Fernando%20T%C3%A1vora&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Souto de Moura(ソウト・デ・モウラ)→シザの弟子
http://en.wikipedia.org/wiki/Eduardo_Souto_de_Moura
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&q=Souto%20de%20Moura&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

P.9
Juan Domingo Santos:私達の二つの対話の舞台は白い壁の小さな部屋で、普段は個人的なオフィスとして使われていて、ドローイングに覆われた木のテーブルとそれの周りに積み重ねられた多くのオブジェクト(客体)があった。最初の対話は夏に行われ、2回目の対話は後の、秋に行われた。その両方とも、たとえそのスタジオがまるでウィークデイの他の日であるかのようにまだ作業中であったにも関わらず、私達により多くの時間と平穏を与える日曜日に行われた。
両方のインタヴューの間、彼はノートになぞの形、如何なる明らかな意味あるいは有用性もないオブジェクトや建築の断片をスケッチし、それは彼が私達が議論している問題を明らかにするスケッチを生み出すために時折中断したものだった。私はそれを一緒に考えるようになった、これらのドローイングは彼の観察から独立しているあるストーリーを形作り、それは彼が集中しまた彼自身を表現する方法としてスケッチを使っているということだった。私はシザはアイデア(考え)と彼の周りにいる人々を彼のドローイングで征服するのが好きだとだんだん確信した。
そのインタヴューはリラックスした開かれた雰囲気で行われた、だから私は彼の答えによって提示された道に従いがちであり、それらのすべては物事の連続性と関係した興味の領域における個人的な経験と関係していた。人は四六時中彼のプレゼンス(現前性、存在)を感じ、身の回りの品の驚くべき(意外な)不足があり、ある謎めいた(曖昧な)ハロー(光輪、散乱光による光源の写真像周辺に現れる環)は彼が行なうすべてのものを取り巻く。彼は野太い声を持ち、小休止し、リズミカルな話し方をし、極端な正確さと同様に、対話を通して正しい言葉の注意深い使用をする。